第12回 

前回の続きで、オルバニー・サラトガ周辺の話。

 オルバニーから西に50マイル程のところに、クーパーズタウン Cooperstown という小さな町がある。知る人ぞ知る著名な町で、アメリカの「野球の殿堂博物館」http://baseballhalloffame.org/index.htm がそこにある。アメリカの野球の殿堂入りした名選手や歴史などを中心にしたその博物館は、野球ファンならば必見の場所である。

 東に50マイルほど行くと、今度はノーマン・ロックウエル Norman Rockwell の美術館 http://www.nrm.org/home.html がある。
 ノーマン・ロックウエルは、アメリカの古き良き時代のアメリカとアメリカ人の様子を、そのまま伝える分かりやすい絵を描いて、ポスターや絵はがきにもたくさん使われている。アメリカで最も愛される画家と言われている人物である。
 ロックウエルの美術館は、ストックブリッジ Stockbridge というところにあるが、その直ぐ北にタングルウッド Tanglewood という町がある。ここは現在まだ、小澤征爾が常任指揮者を努めているボストン交響楽団 http://www.bso.org/が夏の間本拠地にするところで、日によっては明け方まで演奏は続き、芝生席の少し離れたところでは無料で聞ける。この二つを組み合わせて訪れる人は多いようだ。

 オルバニーから、サラトガ・スプリングスを越えてモントリオール方向に100マイル(160km)ほど走ると、冬のオリンピックの開かれたレーク・プラシッド Lake Placid もある。このあたりには、アメリカの冬季オリンピックの強化選手用施設などが散在する。

 さて、ようやく話がサラトガに到着。
 この地は、アメリカインディアンも交通の要所として利用していたが、合わせて付近で湧く鉱泉 Spring も知られていた。それで今でも地名は、サラトガ・スプリングスである。その鉱泉の方の話は後に回して、まずは独立戦争の際のサラトガの戦いから。

 サラトガというと日本の御年配の方は、競馬の町や独立戦争の戦いの場所としてよりも、アメリカ海軍の航空母艦の名前としてご記憶の方も多いだろう。
 ちなみに、もう一つの空母レキシントン Lexington も、独立戦争が始まった地名として知られているが、これはボストン郊外の地名であって、競馬でお馴染みのキーンランドのあるケンタッキー州レキシントンとは別の地名である。
 さらに空母ヨークタウンは、独立戦争が終結した町、ヴァージニア州のヨークタウン Yorktown である。

 サラトガの戦いのあったのは、ハドソン川沿いで、現在のサラトガ競馬場や町のあるところとは少し離れている。

 ここで1777年9月19日と10月10日の2回戦闘が行なわれ、最初の戦闘はほぼ引き分け、2回目の戦闘ではアメリカが勝ち、イギリスのバーゴイン Burgoyne 将軍は降伏した。
 この戦闘でアメリカ軍が勝利したことによって、植民地軍全体の意気が高揚したのは勿論だが、その効果が最も大きかったのは外交に於いてであった。
 すなわち、それまでの欧州各国、特にフランスは、反イギリスという意味でアメリカ側を支援をしていたものの、まだ実力のほどは分からず、全面的に肩入れするというわけではなかった。まして、本気でアメリカに出向いてまで戦闘をするつもりは無く、フランスの権益が守れれば、それで良しという程度であった。
 しかし、サラトガの戦いの結果、植民地軍がイギリスに対して抗し得る勢力であることを示したことで、フランスはアメリカと手を組み、植民地がイギリスから離れて独立することを全面的に支援することになったのである。この時パリでは、アメリカの外交官として、避雷針で有名なかのベンジャミン・フランクリンが手腕を発揮している。

 サラトガ・スプリングスとしての話は、その戦闘を遡ること数年の1771年のこと、サー・ウイリアム・ジョンソン Sir William Johnson という人が、病気の治療にここに来たことから始まるとされている。
 その後、サラトガの戦いで活躍するフィリップ・スカイラー将軍やアレクサンダー・ハミルトン(合衆国初代財務長官)、そしてジョージ・ワシントンといった人が訪れ、1775年に町らしい形が出来上がる。
 療養の地として、またミネラルウオーターの産地としての地位が確立し、それは今に至まで継続している。
 19世紀に入って、独立戦争の余韻が収まると、アメリカとして最初の、と言って良いリゾート地としての発展が始まる。ニューヨークの喧噪を逃れて来た人達は、客人を迎えていろいろなもてなしをするが、特に夏の避暑地として、ニューヨークからいろいろなものを持ち込んで来る。
 現在でもパーフォーミング・アーツセンター Performing Arts Center は、ニューヨーク・シティー・バレーとフィラデルフィア交響楽団の夏の間の本拠地であるし、博物館やダンスホール、カジノなども作られる。

 こうした中で、1864年にサラトガ競馬場が作られるのである。
 現在のサラトガ競馬場は、実にこの時作られたものが、いまだに使用されており、136年の歴史を誇る。現在アメリカで使用されている競馬場としては最古のものである。

 さて、来週はサラトガ競馬場の歴史、以後、現在のサラトガの町の様子、今年のトラバース・ステークスの様子といった順番で話を進めて行く予定。