第12話 俳人兄弟とクロカミ

 何気なく訪れた地方の競馬場で、思いも寄らない血統馬や、昔、中央競馬で馴染みだった馬に出会うことがある。古本屋をひやかしている折り、掘り出し物に出会ったときの愉しさは、それにどこか似かよっている。

 私は中央線の高円寺から自転車で 10 分ほどの街に住んでいるので、土日、競馬場へ出かけない日は、自然と高円寺の西部古書会館に足が向く。
 そんなある日、偶然、捜し求めていた本が、いとも易々と目の前に陳列されているのに驚かされた。

 それは、吉屋信子女史の『底のぬけた柄杓』(新潮社刊)という、昭和 39 年に発行された小説集で、むろん今は絶版となっている。
 その中の一編、「月から来た男」という短編を、私は前々から読みたいと願っていて、その渇望感が限界に達してきたと思っていた矢先に、待望の書と巡り会えたのだった。

 この短編の主人公は、高橋鏡太郎という実在した俳人である。リルケと石田波郷をこよなく愛したこの俳人は、弊衣破帽で巷を徘徊し、その挙げ句に、市ヶ谷の崖から転落死を遂げる。
 その顛末は、ねじめ正一の “高円寺もの” にも描かれており(ねじめ氏の父親が俳人で、高橋と親交があり、ねじめ乾物店に出没する高橋の奇行が正一少年に少なからず影響を与えたらしい)、一部に天才俳人として知られた氏の肖像をより深く知る文献として、是非、この短編は読んでおきたいとかねて念願していたのだ。

 私は好きな著作物のときにそうするごとく、嘗めるごとくこの一編を味わった後、その前後の短編にも目を通し始めた。そしてその直後に、競馬に関する短編が続いているのを知り、小躍りした。

 なにしろ筆者が、競馬をこよなく愛した作家の吉屋女史だけに、期待めいたものはあったのだが、この 「河内楼の兄弟」なる作品もすこぶる刺激的な内容だった。
 舞台は昭和 31 年2月、伊東ホテルの宴会場で幕を開ける。
 東京中山競馬場の食堂組合の経営者が集まった宴たけなわとなったその時、ひとりの男が、脳溢血で倒れ、帰らぬ人となる。
 男の名は安藤昇太郎、中山競馬場食堂の一つ、真竜軒の主人であった。

 どうだろう、これだけでも競馬ファンには十分、食指をそそるのに足るが、実はこの男、弟の松二郎ともども、久保田万太郎門下の俳人で、もともとは、吉原の 「河内屋」なる高名な廓の楼主の息子だったというのだから、私が高橋鏡太郎そっちのけで、夢中となったのはいうまでもない。

 そこで吉屋女史の筆は、その楼主の父親に飛ぶ。
〈息子を甘やかして坊ちゃん育ちにする父親の河内楼主安藤権次郎もまた好むがままの趣味生活で商売は使用人任せで競馬に熱中して数頭の馬を持っていた。当時の競馬場は東京の目黒と横浜の根岸であったろう。……ここでいささか人道主義の観念を振りまわすと、吉原の河内楼は娼妓の肉体から搾取した利得で息子に享楽生活を悠々と送らせ親は競馬馬を数頭持って勝負のスリルを愉しんだということになる。〉

 ちなみにもしやと思い、記録の上で、この安藤権次郎氏の足跡を探すと、日本競馬史第三巻にそれらしき資料を見つけることができた。
 明治 44 年 11 月の松戸競馬倶楽部の項の 「松戸秋季競馬」に優勝した 「ジンソウ」という馬の馬主として、安藤権次郎なる名が記載されているのである。

 さて、その廓の遊蕩兄弟がいかにして転落したかは、この小説に直接当たって頂くほかはない。
 が、紆余曲折の末、兄弟は、〈昭和十四年に運よく中山競馬場の食堂の権利を得た〉という。
〈それは父親がかつて有力な馬主だったコネだった。そこで洋食の一品料理の店を開き真竜軒と名付けた。真竜とはむかしの父の持ち馬の一頭がシンリュウの名だったことに因んだのである。〉

 ところで、この大正から昭和にかけての遊蕩兄弟の不思議な転変を描いた吉屋信子女史は、冒頭に触れたごとく、大変な競馬贔屓だった。
 のみならず、何頭もの馬を所有し、クラシック制覇こそならなかったが、重賞勝ち馬は何頭も出したし、クラシックへも一時、毎年のように有力馬を出走させてはマスコミを湧かせたものだった。

 手元の『日本ダービー 50 年史』を紐解くと、昭和 27 年、クリノハナが制したダービーに名前の見える牝馬クロカミ(25 着)が、吉屋女史の愛馬だったことが知れる。
 このほか昭和 29 年にハツワカ、昭和 30 年にイチモンジを送り込み、そして昭和 32 年にはギンヨクで、見事3着入着をも果たしている。
 愛馬運では、吉川英治氏とどっこい、富田常雄、舟橋聖一の各氏よりも上だったようである。

 現在、クロカミはシンボリ牧場が所有する同名の活躍馬があるが、こちら吉屋さんの愛馬は、父がクモハタ、第七デヴォーニアを母とする活躍馬(6勝)で、繁殖入りして、有馬記念を制した名馬ホマレボシの母となった。
 また、ビクトリアC馬のヒダロマン、アルゼンチン共和国杯馬のブルーマックスの母ミスホクオーもまた、クロカミの娘だ。
 私はこのクロカミ一族の活躍を前にすると、競馬と競走馬をこよなく愛した作家・吉屋さんの心意気を感じるような気がしてならないのである。

 ところで、大黒柱を失った真竜軒はどうなったのであろうか。
 私はまだノレンをくぐった経験はないのだが、レーシングプログラムで中山競馬場内の飲食店をチェックすると、クリスタルコーナー部分の3階に、「中華真竜軒」の名が見える。果たしてこの店が、今も安藤兄弟の関係者の経営になるのかどうか。
 最後に兄弟の作品から、競馬に関する秀句を書き添えておこう。

 チューリップ馬券の肩の舞ふなかに
 襟巻や馬券に夢の捨てきれず

初出:『競馬通信大全』20号  1998 年11月