幸運の女神なりゆえ再びの三たびの笑みを恩寵として

「幸運の女神は二度ほほえむ・ナスノチグサ」
『書斎の競馬』5号(飛鳥新社 1999年)


 ナスノチグサという馬がいた。
 稲葉厩舎にいて、気性が激しいために、ウサギを同居させ、気持ちを和らげようとした。
 イナバの白ウサギ、と評判だった。

 オークスに勝ったのち、安田記念に挑戦してハクオウショウの三着と健闘する。たぶん、これがいけなかったのだろう。長いスランプに入る。
 四歳の春に年長の牡馬と戦うなんて、無茶なことをしたもんだ。

 久方ぶりに勝ったのが、五歳の夏の新潟記念だった。
「私にも人並みにビギナーズラックというやつがあった。それが一九七四年の新潟記念だったのだ。勝ち馬はナスノチグサ。父パーソロン。母ナスノホシ。全姉に桜花賞馬ナスノカオリがいるという超名血馬である」

 歌人のビギナーズラックだったという。
「これがきっかけで、延々二十五年以上、競馬に魅せられ、週末ごとに、馬券に一喜一憂しているのだから、思えばナスノチグサは罪な女だ」

 歌人にビギナーズラックをもたらし、「罪な女」という勲章を手にしたからか、ナスノチグサは再びスランプに入る。
 ふたたび勝利をあげたのは、六歳秋の京王杯オータムハンデだった。
 だが、歌人の手に彼女の馬券はなかった。

「実は馬券歴一年になっていた私は、この時点よりずっと前にナスノチグサを見捨てていた。いかに、ビギナーズラックを味わわせてくれた恩義のある馬でも、もう終わっている。六歳の牝馬の上がり目はない。よけいな知識が増えて、素直さが消えるという、最も悪いパターンにはまりこんでいたのである」

 もちろん歌人は懺悔して、その後はラスト・ランまで、ナスノチグサを買い続けたという。
 歌人は語る。
「ナスノチグサに競馬の魅力を教えられたという幸運を、現在の私は誇りに思っている」

 あなたのナスノチグサは、だれですか?