第16話 「オスカーとルシンダ」を読む

  19 世紀英国の大半を占めるヴィクトリア女王の治世(1837 〜 1901)を、競馬史の上から眺めると、貴族の占有物から市民階級の娯楽へと躍進、確立されていった時代といえる。

 英国における競馬場の数は、前世紀の 1762 年、76 しかなかったが、1843 年には 136 と倍増し、各競馬場にはブックメイカーと呼ばれる私設賭け屋が軒を連ね、1850 年以降、急速に普及した鉄道から吐き出されてくる競馬ファン相手に我が世の春を謳歌していた。
 予想屋が現れるのもこの頃で、代表的競馬予想紙スポーティングライフも 185> 9 年に創刊されている。

 では、ヴィクトリア朝の競馬場では、実際、どんな情景が展開していたのだろうか。
 例えばオーストラリア生まれの現代作家ピーター・ケアリーの長編小説『オスカーとルシンダ』(DHC出版/宮木陽子訳)に、絶好のサンプル場面が登場する。

 時は 1852 年。ところはエプソム競馬場。
 オックスフォードのオーリエル・カレッジの神学生オスカーは、海洋学者の息子として生まれ、堅物の変人で通っていたが、ある日、同じ寄宿舎の博打好きの貴族ウォードレイ=フィッシュに誘われるまま、競馬場へと出かけるのである。
 オックスフォードから列車に乗り込み、パディントン駅で下車した二人は、馬車を雇い、勇躍エプソムへ乗り込む。
 車中、フィッシュは、オスカーに競馬必勝法をこう伝授する。

〈「いいかい、だれかにアドバイスをもとめちゃだめだ。親切ごかしに教えてあげるといわれても、やつらの口ぐるまに乗るなよ。おれたちはだれがなんといおうと、本当のジャムには賭けない」
「ジャム?」
「確実といわれている馬さ。それが本命(ジャム)だ。おれたちは自分の資料から情報を集めるんだ。一定の方式どおりにする。将来のために宝物をとっておくんだ。いいかい、これが方式さ。本命には絶対賭けないんだ。二番手か三番手に賭ける。勝算が五分五分のときは、そのレースに賭けない」〉

 忠告はなおも続く。
〈「もし一日に五シリング勝ちたいと思ったら、どのレースにも五シリング投資しなければならないんだ。きみのために注意事項を書くからさ。儲けようと思ったら、この通りにするんだぞ」〉
 キリストの昇天日というから、時はまさに春たけなわである。

〈オスカーは競馬場へ来るのは初めてだった。
 ・・・馬草のかぐわしいにおいのするこのすばらしい世界は、オスカーには新しい世界だ。ここでウォードレイ=フィッシュは「第一級の情報」と太鼓判を押す 「情報」を得るつもりのようだ。それが第一級の情報ではないことをオスカーは知っていた。
 ・・・この男は地獄に落ちる男だ。こんな男の予想にはけっして耳を貸すまい。悪魔に耳元でささやかせるようなものだ、とオスカーは思った。〉

 車中ではあれだけ理路整然としていたフィッシュが、まさに自身忌み嫌っていたジャムに有り金をなくしていくのを冷静に観察するオスカー。
 そして手順が分ったところで、ついに初めてギャンブルに手を染める。
〈パース・ガリーという胴元を選んで、倍率が十倍のシュア・ブレーズに三ギニー〉を投じるのだ。
 読者である曾孫(=ケアリー?)は、続けてこう記している。
〈ひいおじいさんは最初の賭けで勝った。「ギャンブル病」に取りつかれた人たちのあいだでは、こうした逸話は珍しくもなんともないそうだ〉と。

 むろん作者のケアリーは、われわれと同時代人で、ヴィクトリア朝時代の競馬を実際に見聞したわけではない。
 ここに描かれた情景は、いってみれば、藤沢周平氏の小説に描かれた深川の世界のようなもので、多分に今日の競馬場風景が反映していると見るべきだろう。
 が、オックスフォードの神学生が、競馬にうつつを抜かすという設定はいかにもありそうだし、またそう想像することはなんとも楽しい。

 ところで注意深い読者なら、ここで引用されているブックメイカーの名前に注目を払わざるを得ない。
 英国の競馬人にとって、名こそ違っているが、ガリーといえば一般にジョン・ガリー John Gully のことを想起すると思われるからである。
 ガリーは、よくも悪くも 19 世紀の英国競馬を大衆化する牽引車となったブックメイカーの大立て者のひとり。
 デニス・クレイグの『競馬』(佐藤正人訳)に記されたプロフィールには、〈肉屋、居酒屋の主人、英国におけるベアナックル(グローブをつけないでする)のチャンピオン・プロ闘拳選手、ブックメイカーかつ国会議員であり、ダービーに二回勝っている〉とある。
 間違いなく 19 世紀後半の英国競馬を代表する有名人であり、その名をさりげなく使ったケアリーの慧眼はさすがといえよう。

 脱線ついでに、そのガリーのダービー馬も紹介しておくと、一頭は、1846 年のピュルロスザファースト Pyrrhus the First 、もう一頭は 1854 年のアンドーヴァー Andover である。
 ピュルロスとは、前4世紀ごろのギリシアの指導者で、ローマ軍相手に孤軍奮闘した英雄として知られる。ブックメイカーの親分も随分また格調高い名を付けたものだが、その事蹟に詳しく触れる余裕はないので、向学心のある方は、プルタークの英雄伝に当ってください。

 話を小説に戻すと、競馬に開眼し、〈神がわたしたちに要求しているのは、現世に存在するあいだ、すべての一瞬、一瞬を賭けることです。活きている限りその一瞬、一瞬を賭けなければならないのです〉という考えに取りつかれた牧師オスカーは、英国にいられなくなり、オーストラリアへと向かう。

 その船内で出会ったのが、シドニーでガラス工場を営むルシンダなるうら若き女性。こちらも風貌に似合わず、カード賭博に滅法目がないという御仁。
 意気投合し、やがて同居生活を始める(このあたりでオーストラリアのランドウィック競馬場の描写がちらほら登場する)。
 が、ニューサウスウェールズの奥地に、ガラスの協会を移送するという考えに取りつかれたオスカーは、探検隊を組織して未開の土地を目指す。

 舞台が英国、オーストラリアとめまぐるしく替る上、英国教会派、バプテスト派など複雑な宗教事情が背景になっているなど、日本人には馴染みにくい面も多いこの小説。
 すみずみにはっとするような描写、思想の切れ端があり、面白いことは面白い> のだが、決して読みやすいとはいえず、競馬という切り口があるおかげで、辛うじて最後まで読みおおせたというのが、正直な感想である。

 ちなみにこの小説は 1997 年、米国で映画化され、昨年日本でも公開されている。
>  私は残念ながら、見損なってしまったのだが、映画の中で競馬場やブックメイカーたちがどう表現されていたか、興味深いところである。
 またブッカー賞とは、英連邦で最も権威ある文学賞だそうだ。
 ヴィクトリア朝を舞台に、英国とこの頃、人口が急増し始めた植民地のオーストラリアを賭博で結ぶ風変わりなロマンスという設定が、まさにこの賞を受けるにふさわしいことは確かだろう。

初出:『競馬通信大全』23号  1999 年3月