第17話 李娃伝とマノン・レスコー

 仕事で中国の雲南にでかける機会に恵まれ、一週間ばかり、かの地へとでかけた。
 雲の南というからには、地の果ての僻地を想像していたが、とんでもない偏見だった。

 省都・昆明は、人口が 300 万人の大都市で、開放路線の恩恵を享受してか、街の中心部には 40 階の高層ビルがニョキニョキ林立している。
 街中を、大型トラックや乗用車の群れが、排気ガスを吐き出し、交差点では、自転車部隊が、F1のスタートさながら、犇めき合っている。
 ガイドブックに、競馬場が建設中とあったが、残念ながら、確認することはできなかった。

 かと思うと、その昆明から、50 分ばかりフライトして麗江という、名前からしてビューティフルな町へ降り立つと、別天地の桃源郷が広がっている。
 元や明の時代の民家や橋、石畳が、ここではそのまま保存されており、ナシ族という日本人にとてもよく似た少数民族たちが、慎ましやかに暮らしている。
 一昨年十二月には、街の一部が世界遺産にも登録されたというが、納得がいく。

 街のどこからでも拝めるのが、標高 5596 米の霊峰、玉龍雪山。
 車で 3500 米まで上ることができ、そこからさらに 1000 米、一気に上りきるロープウェイが昨年 11 月に開設した。
 さらにそこまで上ると、なんとスキー場が建設されていた。それにしても標高 4500 米のスキー場なんて、一体誰が滑るのだろう?
 普段は、競馬場のゴンドラより高いところへは滅多に上らない当方は、頭がずきずき痛んでしかたがなかった。

 しかし、このあたりは、街中でも、草原でも、山でも、どこへいっても馬がいたるところに見られるのが嬉しい。
 玉龍雪山のふもとでは、チャイニーズポニーだろう。イ族の少年が乗馬をさせてくれる。
 小岩井牧場あたりのように、一周しておわりというケチなものではなく、草原を思うさま乗せてくれるから、まことに気持ちがいい。
 わが国の廃用サラブレッドやアングロアラブも、こうした草原で、余生を送ることができるなら、さぞや、楽しかろうに、などと考えたことだった。

 旅の友として、岩波文庫の唐宋伝奇集を偲ばせていき、宿でパラパラと読んだが、これが滅法界、面白い。
 なかでも、しっくりきたのは、「李娃伝」という一編。作者の白行簡は、あの長恨歌の作者で知られる白居易の弟にあたる人である。

 筋をかいつまんで紹介しよう。
 主人公は、常州(紅蘇省)出身の若者で、科挙の試験を受けるため、唐の都、長安に上京する。
 が、早速、平康里という京都の祇園のような色街を騎馬で通りかかり、美しい妓女に一目ぼれする。女の名を李娃といった。
 若者の父親は常州の刺史(地方長官)で、五十でこの子を生んだ。だから大層かわいがり、二年分の費用を渡した。
 が、先の妓女に入揚げた若者は、試験そっちのけ、たちまち持ち金を蕩尽してしまう。
 が、金の切れ目は縁の切れ目でもある。
 いささか男に厭んだ李娃と、彼女を裏であやつる養母の策略から、女に逃げられた若者は絶望して、凶肆という差別されていた葬儀者集団に身を投じる。

 そんなある日、都で東肆と西肆の二大葬儀グループが互いの技を競い合うイベントが催された。
 東肆の歌手の代表として挽歌を歌った若者は、聴衆を魅了する。そしてこの見学者の中には、若者の父と老僕の姿もあったのである。
 が、老僕が連れ戻した若者を見た父親は、意想外の行為にでる。こんな男はみたことがないといって、鞭で打ち据え、半死の目に合わせるのである。

 ここで話はハッピーエンドに転じる。
 くだんの妓女の李娃に再会した若者が、婦唱夫随で勉学に励んだ結果、科挙に合格、高官になって、父親と涙の対面を果たすのである。
 エゴから息子を、鞭で殺そうとした父親が、こう叫ぶ。
「そちは、やはりわしの息子だ」と。

 作家の陳舜臣氏は、「唐代伝奇」という本でこう書いておられる。〈だが、二十世紀の読者は、息子を鞭うち殺す父親の物語に、より大きなショックを受ける。末尾で、その父親のものわかりのよさがえがかれているだけに、嫌悪の情はいっそうつのるのだ。そのシーンこそ 「伝奇」の名に値する〉
 全く同感である。

 さて、この物語を読んで想起されるのは、18 世紀前半のフランスに生きたアベ・プレヴォの小説『マノン・レスコー』である。
 この小説の題名は、正しくは、騎士デ・グリュートマノン・レスコーの物語という。

 デ・グリューは、李娃伝の若者同様、高い家柄の青年で、遊学中にひとりの美しい少女マノンに一目ぼれする。
 しかしマノンは、生来、快楽への好みの強い女性だった。手に手をとって花の都のパリへと駆け落ちしたまではよかったが、二週間も立たないうちに、彼女は、別の紳士に通じ、デ・グリューを厄介払いするのである。

 こうした、若者の無分別と大人の分別との対立の物語は、洋の東西を問わず、人々の琴線に触れるものなのだろう。それにしても李娃とマノン、この二人の美女の姿は、私の眼に、等しく魅力的に映ってやまない。

 ところで、競馬の世界でマノン・レスコー Manon Lescauut はいないか、そう思ってファミリー・テーブルをあたると、一頭の該当する牝馬を見出すことができた。
  1950 年生まれ。父は Tehran で母は Albania とある。
 ちなみにその孫息子の代に、こちらはイタリアのG3重賞を勝った Zindal(父は Henry the Seventh)を生んでいる。

初出:『競馬通信大全』24号  1999 年4月