はじめに | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「もきち倶楽部」メール・マガジンの創刊おめでとうございます。 栄えある創刊号の末席を汚し、さらに今週から始まるレベルの高いメール・マガジンの水曜日に、数ある有能なライターの皆様方を差し置いて、無謀にも連載を敢行いたします森本健と申します。今後ともどうかよろしくお願いいたします。 私の場合、競馬から連想ゲームのように話が脱線して行くのを得意としておりまして、ここでは主に馬名の話を中心に進めていきたいと思いますが、必ずしもそれだけに拘ることなく、色々な話、特に現在米国東海岸に居住しておりますので、アメリカの東海岸の競馬を中心にしたお話も展開していければと思っております。 また、私自身クイズやパズルが好きなもので、毎回最後に問題を出して終わり、次回には解答とその簡単な解説から入るという形式にします。そちらも合わせてお楽しみください。 なお、私はこうした「です」「ます」調のどちらかと言えば口語体に近い書き方を良くしているのですが、それではどうも読み難かったり、文章が冗長になる傾向にありますので、この下の本文以下次回以降「である」調で書いて見たいと思います。それでは。 各国ダービーの始まり さて、最初はどこから始めようかと考えたが、やはり競馬の象徴はダービーだろうということで、今回は創刊特別号でもあり、総括的に各国の第1回ダービーを眺めておこうと思う。 各国でダービー、ないしはそれに相当する競走の第1回が施行された順に、年度と勝ち馬の名前を以下に書き出してみた。
イギリスで始まったのが1780年で、次にフランスで似たようなレースが始まるのに50年以上掛かっている。当時は競馬は古馬のもので、やはり若駒のこうしたレースが定着するのに時間を要したということだろう。 それでも次の50年の間に、ほぼ主な国では始まっている。最初はもちろんイギリスの影響の強いカナダ・オーストラリアといったところからだが、次第にそれ以外のドイツや南北の新大陸の新興国へも広まって行く。 そしてその次の50年の間に、さらにそれ以外の国でも競馬自体が受け入れられるのと共に、ダービーという象徴的なレースを頂点としたレースの体系が整えられて行き、日本では1932年に目黒競馬場で始まった。 日本ではそれ以前にも、各競馬場はそれぞれに試みており、例えば横浜競馬場では横浜ダービーやジャパンセントレジャーもやっていたようだが、豪州からの輸入馬が圧倒的に強かったそうだ。 また1902年には、日本産馬による日本ダービーの設立という試みもあった。その時は横浜競馬場で5ハロンのレースが行なわれ、「ツキカゼ」という馬が勝ったが、結局は時期早尚ということで、翌年以降は行なわれなかった。途中1908年に馬券禁止などもあったため、本格的に東京優駿として行われるようになるのは、諸々の条件が整う30年後の1932年であった。 それで馬名の話だが、次回以降歴代イギリスダービー馬の名前について、それ以降ももし続けるなら、アメリカ・日本と順番にやって行きたいので、今回はそれ以外の国の第1回ダービー馬の名前を見ることにする。 フランス: Franck ( c 父 Rainbow 母 Verona ) 人の名前は特定が難しいが Sebastian Franck(1499−1542)という有名な人物がいる。ドイツでローマンカトリックの修道士だったのだが、ルターの宗教改革の影響を受けてリベラルな活動と執筆をした人で、Rainbow (レインボー、虹)が夢と希望を象徴しているということからの連想ではないかと思う。 母親 Verona はイタリアの地名で、ロミオとジュリエットの舞台ともなった。 カナダ: Don Juan ( g 父 Sir Tatton Sykes 母 Yellow Rose ) 有名なスペインの貴族で漁色家、ドン・ファン。母親にある Yellow (イエロー、黄色)が嫉妬深さを象徴する色だからだろうか。 父親 Sir Tatton Sykes はイギリスの貴族の名前で、本人が自分の名前を馬につけて1846年のセントレジャーを勝った。漁色家かどうかは分からないが、91歳まで生きた長命で、ライスやタピオカの入ったプディングが好物。 Sykes家の屋敷には有名なライブラリーがあり、ニューヨークのメトロポリタン美術館に本を大量に寄贈、グーテンベルグの最初の印刷もあるとかで、何となくFranck との因縁を感じる。 なお、歌にもなった Yellow Rose of Texas(テキサスの黄色いバラ)の話のEmily Morgan という黒人女性は1800年頃の人らしいので、この母親はそれに因んで付けられた可能性もある。 オーストラリア: Kyogle ( c 父 William Tell 母 Cassandra ) オーストラリアの地名で、大きなリュックをしょって歩き回る、いわゆるBackpacker (バックパッカー)のための施設のあることで知られている。 オーストラリアの Backpacker というと、有名な Waltzing Matilda (ヲルツィング・マティルダ)の歌――オーストラリアの非公式の国歌( unofficialnationalanthem )=国民歌――が思い出されるが、この歌はメロディーは古くからあるが、最初に公式の場で歌われたのが1895年なのでこの馬よりも新しい。 父親 William Tell (ウイリアム・テル、スイス建国の英雄)と息子の名前を結び付けるのはちょっと無理か。母親 Cassandra はギリシャ神話に登場するトロイの予言者で、悪いことを予言する人の意味に使われる。 アイルランド: Selim ( c 父 Ivan 母 Light of the Harem ) オスマン帝国のサルタンの名前。 父親 Ivan はロシア皇帝などに出てくる名前だし、母親の Harem (ハーレム)からも連想したのだろう。因みに Selim には、1世(1467−1520)から3世(1761−1808)までおり、3世が生きていたのはアイルランドダービーの行われた1866年とはそう遠い時代の話でもない。 ドイツ: Investment ( c 父 King of Diamonds 母 Golden Pippin ) 投資。ダイヤモンドの王様(父)も、黄金のリンゴ(母)も、投資対象として最適。 Pippin には美人という意味もあり、またフランク王国のカロリング朝を開いたのも有名な Pippin (ピピン)だが、ここでは牝馬なので美人の方だろう。 アルゼンチン: Souvenir ( ? 父 Blair Adam 母 Remembrance ) お土産物。お土産というと日本人は、つい人に上げることばかりを連想するが、本来は自分が旅で訪れた先の思い出の小物のことで、母親 Remembrance(思い出・追憶)からついた。 父親の Blair Adam は、J. G. Lockhart の書いた小説「 Adam Blair a Storyof Scottish Life (1822)」の主人公の名前。一度没落した貴族が、再度上り詰めてスコットランドの首相になったという話らしい。 イタリア: Cloridano ( c 父 The Condor 母 Bambola ) イタリアの詩人 Ludovico Ariosto の書いた Orlando furioso (1516)に登場する人物。卑しい身分のムーア人の若者で、敵の隊列にムチャクチャに突っ込んで戦死する。 父親 The Condor (コンドル)や母親 Bambola (イタリア語で人形、 dollまたは puppet のこと)からの連想があるのかどうか。 ユーゴスラビア: Mara Resavkinja ( f 父 Holbein 母 Mehadia ) これは人名であることは間違いなく、セルビアだか何処かの銅像の写真までWEB http://svilajnac.homestead.com/album.html) で見つけたが、字が読めないので分からない、どなたかご存知でしたらお教え下さい。 父親 Holbein は、ドイツの画家 Hans Holbein( the Elder として知られる人物; 1465? −1524)だろう。母親は、現在はルーマニアにある地名で、ローマの時代から要所だったらしく、古代史の地理などに登場するし、温泉もあるらしい。この母と関係あるのか? 今回の問題 それでは次回へ繋ぐ問題、第1回イギリスダービー優勝馬 Diomed とは、どう いった関係の名前だろうか? A)植物の名前 B)ギリシャ神話の関係 C)それ以外 |
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