第3回 モクテズマ Moctezuma

  1871(明治 4)年のシーズンから、第 2 回で紹介したサムライにとって代わって、日本馬のチャンピオンの座についたのが、モクテズマだった。その名は、古代アステカ族最後の皇帝にちなんだものだろう。日本馬としては大きくて、もっさりとした感じだったという。

 オーナーはキングドン Nicolas.P.Kingdon 。
 キングドン(1829-1903)は、1863 年、東アジアの代表的な商社であったデント商会の代理人として来日、1866 年の同商会の破綻後も横浜に滞在して、居留地運営の様々な分野でリーダーシップを発揮し、活躍していた。
 競馬もその一つで、ルドルフ・リンダウとともに、初期の横浜の競馬の中心的な役割を果たした人物であった。1874 年までは、 Nicolas を厩舎名や馬主の仮定名称として使い、その後しばらくは、誰かとパートナーを組んで、Russian Stable あるいは Russo-Mexican Stable を経営、出走に際しては Ola を名乗った。

 キングドンは、日本馬の調教に関してすぐれた手腕をもっており、横浜の競馬でそれを実証していった。その技術は高く評価され、宮内省や陸軍省所属の馬の調教などにあたることになった。キングドンの協力もあって、1875 年からは陸軍省、翌年からは宮内省の馬が横浜の競馬に出走することになる。
 モクテズマは、初期におけるそのキングドンの代表馬であった。

 デビューは、1869 年5月の春季開催。重要な基幹レースであった新馬戦(1/2 マイル)を、前年の同レースよりも2秒も早い1分5秒で勝つという鮮烈なものであった。当時のタイムとしては、非常に早いもので、将来を期待させるに充分だった。
 それでも古馬や中国馬の壁は厚かったが、成長した姿を見せるのにはそう時間はかからなかった。

 デビュー1年後の 1870 年5月の春季開催には、早くも日本馬のチャンピオン戦を制している。第2回で紹介したサムライを、2馬身半差の2着に下してのもので、このレースでの2頭の攻防は、人々を熱狂させる。直線ではものすごい歓声があがり、結果は、新旧交代劇を印象づけるものであったという。

  1870 年秋のシーズンは、本命の呼び声が高かったが、体調を崩して開催には姿を見せなかった。キングドンは、無理使いをしないのが特徴で、じっくり成長をまつタイプであり、それに応えてモクテズマの強さは一段と増しつつあった。

 翌 1871 年の春の開催を前にして、サムライはもはやモクテズマの相手にならない、というのが大方の見方となっていた。事実もその通りとなり、初日の日本馬のチャンピオン戦でも、二日目の当時の競馬の華・婦人財嚢でも、サムライをあっさり打ち破ってしまった。

 またこの開催では、中国馬との混合戦も2走したが、いずれも善戦する。特に開催勝馬によるレースでは2着となって、中国馬の他のチャンピオンクラスには先着し、相当の能力を示した。

 続く 1871 年の秋のシーズンは、調教でも絶好調、日本馬の大本命として開催を迎えた。日本馬のチャンピオン戦ではそれに応えて、サムライに楽勝し、当然のように春秋連覇をはたす。
 だがこの開催では、このレースの勝ち馬は、他のレースに出走できないか、あるいは 14 ポンド(約 6.4 ■)の増量という規定であった。これは、強いモクテズマをレースから締め出すのが目的で、他に出走できたのは1レースしかなかったが、そのレースでも、増量が応える形で着外に終わってしまう。
 それでも人々に、モクテズマの時代の到来を強く予感させるものであったというから、いかにすごさを感じさせていたかがうかがえる。
 なおこの時、モクテズマを負かしたのが、この開催でデビューしていた「名馬」タイフーンであった。

  1872 年の春のシーズンでは、事実上、この開催のチャンピオン戦となったイギリス代理公使寄贈のカップレースを含めて2勝をあげ、期待に違わない強さを見せる。しかし、この2戦でともに2着となったタイフーンは、婦人財嚢では逆にモクテズマを負かしており、明らかにライバルとしての力を蓄えつつあった。

  1872 年の秋のシーズンを迎えて、タイフーンの評判は高くなっていった。新たなヒーローを待望するのは、いつの時代でも同じである。
 初めての両馬の対戦となった二日目のレース(3/4 マイル)では、タイフーンが本命となる。だがモクテズマは、スピードの違いを見せつけ、スタートからリードして、そのまま3馬身差をつけて逃げ切ってしまう。勝ちタイムの1分 44 秒は、かなりの好タイムであり、人々はモクテズマのスピードに、改めて称賛の声を送ったという。
  3/4 マイルにおけるこれまでの最強の日本馬、それがモクテズマに与えられた称号であった。

 この秋季開催は、内外の社交の色彩が強く前面に出され、日本側も含めて各国から寄贈のカップ戦が数多く実施されていた。モクテズマが勝ったレースも、在留アメリカ人の寄贈にかかるアメリカ賞盃 American Cup という名称であった。
 日本馬にとって、最も名誉なレースという位置づけで、その栄誉を讃えるセレモニーも準備され、キングドンは、アメリカ公使デロングの夫人から賞盃を受けとる。

 そしてモクテズマは、もう一つの 3/4 マイル戦を、大きく出遅れながらも楽勝し、三日目に行われた中国馬との混合の、開催勝馬によるチャンピオン戦に出走してきた。
 このレースも、神奈川県寄贈のカップを、知事夫人が贈呈するといった演出が行われたが、もちろん日本婦人としては初のものであった。こういったことを先駆けとして、日本の女性は、自らが主役となるような新たな時代を、一旦は迎えていくことになる。
 モクテズマは、この記念すべきレースで着外に終わってしまう。だが、勝馬の中国馬の最強馬よりも 7 ポンド(約 3.2 ■)も重いハンデを背負い、しかも道中バカついた馬からも大きな不利を受けていて、これらがなければと思わせる敗戦だった。

 それを実証するかのように、翌 1873 年の春のシーズンでは、完壁な成績を残すことになる。
 初日のチャンピオン戦、ついで二日目の最高賞金レースを制し、さらに同日の、神奈川県からの寄贈にかかるカップ・レース Kanagawa Cup にも勝ち、キングドンは、県知事夫人から賞盃を受け取る。
 この頃には、キングドンが、劣悪な日本馬のなかから、このような馬を育て上げたことに対する賞賛の声が高まっていたが、まさにそれを実証することになった3戦3勝であり、その象徴としてのカップの獲得だった。

 このままいけば、ますます強さを加え、タイフーンとのライバル物語の第2章も展開されるはずだったが、馬にも人にも、運命は残酷に訪れる。
 開催後、モクテズマは、突然病気に侵されて急死してしまい、キングドンも、ささいな失策を咎められて、中国馬重点をとるクラブの主流からの攻撃にさらされる。
 モクテズマは、絶頂期を迎えたその瞬間が最後の時となった。もし無事であったなら、キングドンとの関係が深かった宮内省か陸軍かに望まれて、種牡馬となった可能性は大きかった。

生涯成績 23戦12勝
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1869年
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5 月 6 日
  Griffins' Plate(jp) 1/2 マイル 賞金 200 ドル
          6 頭立− 1 着  1 分 5 秒   2 着  Soter Johny
5 月 7 日
  Ladies'  Purse(jp)  1/2 マイル
          8 頭立−着外   1 分 6 秒   1 着  Wintlaw
5 月 8 日
  Match Race   勝者 Faugh a Ballagh
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10 月 18 日
  German Cup(jp)  3/4 マイル 賞金 250 ドル
          6 頭立−着外  1 分 55 秒  1 着  Samourai
10 月 19 日
  Legeder Cup(jp)  1/2 マイル
          6 頭立− 2 着  1 分 13 秒  1 着  William
10 月 20 日
  Scurry Sweepstakes(ap)  1/4 マイル
          3 頭立− 3 着    31 秒  1 着  Harrison
 
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1870 年
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5 月 26 日
  Nippon Champion Plate(jp)  1 マイル 賞金 150 ドル
          5 頭立− 1 着     2 着  Samourai
5 月 27 日
  Ladies' Purse(jp)  1/2 マイル
          6 頭立− 2 着  1 分 1 秒  1 着  Delight
5 月 28 日
         不出走
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秋季開催
         不出走

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1871 年
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5 月 10 日
  Nippon Champion Plate(jp)  1 マイル 賞金 150 ドル
          5 頭立− 1 着          2 着  Samourai
5 月 11 日
  Ladies' Purse(jp)  1/2 マイル
          6 頭立− 1 着          2 着  Samourai 
  Handicap Plate(ap)  1/2 マイル
          5 頭立− 4 着  1 分 2 秒 1/2  1 着  Southern Cross
5月12日
 Champion Stakes(ap) 1マイル1/4
          6 頭立− 2 着          1 着  Wiil O'the Whisp
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11 月 8 日
  Nippon Champion Plate(jp)  1 マイル 
          2 頭立− 1 着          1 着  Samourai
11 月 9 日
  Netherand Cup(jp)  3/4 マイル
              着外          1 着  Typhoon
11 月 10 日
          不出走

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1872 年
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5 月 8 日
  German Cup(jp)  3/4 マイル 賞金 120 ドル
          4 頭立− 1 着  1 分 45 秒 1/4  2 着  Typhoon
5 月 9 日
  Ladies' Purse(jp)  1/2 マイル
          5 頭立− 2 着           1 着  Typhoon
  Takanawa Cup(jp)  3/4 マイル 
          6 頭立− 1 着           2 着  Typhoon
5 月 10 日
          不出走
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10 月 30 日
          不出走
10 月 31 日
  American Cup(jp)  3/4 マイル 賞金 300 ドル
          4 頭立− 1 着  1 分 44 秒     2 着  Typhoon
  Ledger Plate(jp)  3/4 マイル
          7 頭立− 1 着  1 分 44 秒 3/4   2 着  Boreas
11 月 1 日
  Kencho Cup(ap)  1 マイル 1/4 賞金 200 ドル
          8 頭立−着外  3 分 0 秒   1 着   Will O'the Whisp

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1873年
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5 月 14 日
  Nippon Champion(jp)  1 マイル 賞金 150 ドル
          2 頭立ー 1 着  2 分 18 秒   2 着  Typhoon
5 月 15 日
  American Cup(jp)  3/4 マイル 賞金 300 ドル
          2 頭立ー 1 着  1 分 45 秒   2 着  Boreas
  Kanagawa Cup(jp)  1 マイル 賞金 200 ドル
               1 着         2 着  Typhoon
5 月 16 日
          不出走
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  jp=japan pony(日本馬)
  ap=japan pony &  china pony(中国馬)