第4回 タイフーン Typhoon(前編)

 タイフーンは、イギリス公使館付医師であった E.ウィラー Wheeler(1840 〜 1923)が、1871(明治 4)年に、陸軍が主催していた招魂社(後の靖国神社)競馬で見い出し、自らの手で本格的な競走馬に仕上げていった。
 横浜・根岸競馬場には、 1871 年〜 1879 年の足かけ 9 年間にわたって出走し、居留民からリトルマン Little Man の愛称で呼ばれる。大きくて、もっさりとしていたモクテズマ(第3回参照)とは好対照で、小柄で、闘志を表に出したところから名付けられたものだった。
 なおウィラーは、この時代から長く横浜のレース・クラブの中心人物の一人として活躍することになる。

 デビューは、1871 年 11 月の秋季開催で、初日には、直線追い込んで楽勝すると、モクテズマも出走していた二日目のレースでは、フライング気味の好スタートからそのまま逃げ切って楽勝し、2 勝をあげた。兎も角も、モクテヅマを破ったことで、注目される存在となる。
 招魂社競馬は、陸軍が西洋的な調教、騎乗法をいち早く導入するために、1870 年から、春秋二回の開催で始めたものだが、居留民にとっては、有力馬を見出す場ともなっていて、早速その成果があがった格好となった。

 明けて 1872 年の春から、翌年の春までの3シーズンは、モクテズマに挑戦しながらも、その厚い壁に跳ね返されることが続く。それでも、時には中国馬を破るなど、将来の可能性を十分に感じさせるレースぶりをみせていた。

  1873 年の春のシーズン後、モクテズマが急死したことで、ライバル物語の第2章は未完となってしまったが、タイフーンは、日本馬の第一人者としての存在に相応しい馬に成長していく。

  1873 年 10 月の秋季開催では、初日の日本馬のチャンピオン戦(1 マイル)を 2 分 16 秒 1/2 のレコードで楽勝、ついで二日目のレース(3/4 マイル)も 1 分 50 秒 1/2 で大楽勝し、二つの基幹レースを制する。日本馬の中では、断然な強さを示したレースだった。

 残る敵は、中国馬しかいなかった。日本馬は気性が荒くて、スタートからやみくもに走り、1000 mを越えると急激にスタミナを失ってしまうのが一般的で、それ以上の距離になると、なおさら中国馬と互角に戦うことは困難だった。それゆえ、ここで勝つことが、当時の一流馬の証でもあった。

 この開催で行われた、中国馬との混合のチャンピオン決定戦(1 マイル 1/4) で、タイフーンが、どんな走りを見せるかが注目される。タイフーンはいつもの通り先行するが、それも 3/4 マイルまでで、あとは中国馬の勝馬にもて遊ばれる格好となってしまい、2着に終わってしまう。しかしタイフーンは、何かをもっていた馬だった。

 明けて 1874 年 5 月の春季開催では、初日の日本馬のチャンピオン戦を3連覇し、ついで、他の二つの基幹レースも軽く制して、三日目の中国馬との混合の開催勝馬によるチャンピオン決定戦(1 マイル 1/4)に臨む。このレースには、今開催の中国馬のチャンピオン、ディクシー Dixie の名前もあった。
 タイフーンは、6.35 kg のハンデをもらってはいたが、ディクシーを全く問題としない形で退けるという堂々としたレースぶりであった。1 マイル 1/4 の距離を克服し、前年秋の雪辱を果たして、主要4レースのすべてに楽勝という完壁の成績をおさめる。
 この頃から、居留民たちは、タイフーンへの称讃と愛おしみの心を込めて、リトルマンと呼ぶようになった。

 当時、開催が終わると競走馬は、オークションに掛けられるのが常だった。ウィラーは、この絶頂期のタイフーンの評価を問う形で、せりに掛けた。お台は 300 ドル、当然白熱したせり合いが続き、あるグループが 800 ドルという高額で落札する。当時のレートで 1600 円、太政大臣の月俸より高く、それまでのレコードをはるかに上回っていた。
 なお、1シーズン後には、またウィラーの名義にもどっている。
 
 名義が換わって迎えた 1874 年 11 月の秋季開催では、環境の変化のためか、開催前の調教に入った時には体調を崩していて、とても走れるような状態にはなかった。それでもタイフーンは、日本馬同士では強かった。初日のチャンピオン戦を制して 4 連覇し、二日目のレース(3/4 マイル)では、1 分 40 秒 1/2 のレコードのおまけ付で勝っていた。
 だが、やはり本調子になければ、中国馬との勝負にはならなかったようで、三日目に行われた、チャンピオンを決定する中国馬混合のハンデ戦では、着外に終わっている。

  1985 年の春のシーズンは、日本馬のチャンピオン戦など基幹レース二つを制して、その座は揺らがなかったが、秋には、今度は本格的な不調に陥ってしまう。初日からの 3 戦、全くよいところが無く負け続け、三日日の未勝利戦で、やっと1勝をあげるにとどまる。
 日本馬のチャンピオン戦の連覇が4で途絶えただけでなく、全く精彩を欠いたレースぶりは、居留民たちを悲しませた。彼らは、力が衰えた姿を見るに忍びないほど、タイフーンを好きになってしまっていたのだった。これ以上、名声を傷つけることなく引退を望む声があがる。
 だがリトルマンは、そこで物語に、幕を下ろすつもりはなかった。



 生涯成績 48戦23勝 

  1871 〜 74 年分

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1871年
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11月2日
 Maiden Stakes(jp)   1/2マイル
            1着       2着 Marmion
11月3日
 Netherland Cup(jp)  3/4マイル
            1着       2着 Paddy Whack

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1872年
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5月8日
 German Cup(jp) 120ドル 3/4マイル
       4頭立−2着 1分43秒1/4 1着 Moctezuma
5月9日
 American Cup(jp) 300ドル 3/4マイル
       3頭立−1着          2着 Marmion
 Ladies'Purse(jp)      1/2マイル
       5頭立−1着          2着 Moctezuma
 Takanawa Cup(jp)      3/4マイル
       6頭立−2着          1着 Moctezuma
5月10日
 British Garrison Cup(ap)   1マイル1/4
       7頭立−着外  1着 Adams
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10月30日
 Nippon Champion(jp) 150ドル 1マイル
       6頭立−1着 2分26秒    2着 Massaki
10月31日
 American Cup(jp)  300ドル 3/4マイル
       4頭立−2着 1分44秒    1着 Moctezuma
11月1日
 Kencho Cup(ap)   200ドル 1マイル1/4
       8頭立−着外 3分0秒     1着 Will O'the Whisp

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1873年
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5月14日
 Nippon Champion(jp) 150ドル 1マイル
           2着 2分18秒    1着 Moctezuma
 Fujiyama Cup(jp)  100ドル 3/4マイル
           1着          2着 Maszrao
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5月15日
Kanagawa Cup(jp) 200ドル 3/4マイル
           2着          1着 Moctezuma
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5月16日
 Railway Cup(ap) 200ドル 1マイル1/4
           1着          2着 Crusader
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10月23日
 Niphon Champion(jp) 150ドル 1マイル
         2頭立−1着 2分16秒1/2 2着 Mohstoz
10月24日
 American Cup(jp) 150ドル 3/4マイル
         4頭立−1着 1分50秒1/2 2着 Friar Tuck
 Exchange Cup(jp)       1マイル1/4
10月25日
 Grand Hotel Cup(ap) 200ドル 1マイル1/4
         6頭立−2着 2分55秒    1着 Crusader
 Italian Cup(ap)       3/4マイル
         8頭立−3着 1分39秒1/2 1着 Calabar
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1874年
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5月14日
 Nippon Champion(jp) 150ドル 1マイル
         3頭立−1着          2着 Mahstoz
 Cosular Plate(jp)        3/4マイル
             1着          2着 Lodi
5月15日
 Kanagawa Cup(jp)  200ドル 1マイル1/4
             1着          2着 Massaki
5月16日
 Lloyd Souvenir Cup(ap) 200ドル 1マイル1/4
             1着 2分57秒    2着 Dixie
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11月10日
 Nippon Champion Plate(jp) 150ドル 1周
         2頭立−1着 2分20秒    2着 Carrots
11月11日
 Tosa Cup(jp)    3/4マイル
         6頭立−1着 1分40秒1/2 2着 Mahstoz
11月12日
 Champion Cup(ap)  1マイル1/4
         8頭立−着外 2分58秒1/2 1着 Braemar
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jp=japan pony(日本馬)、ap=japan pony & china pony(中国馬)
1周=約1700m、dis=distance(約100m)

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  jp=japan pony(日本馬)
  ap=japan pony &  china pony(中国馬)