第5回 タイフーン Typhoon(後編)

 翌 1876 年 5 月の春季開催。初日のレースに登場してきたときには、居留民たちは、タイフーンに敬意を払いながらも、それほど期待はしていなかった。
 ここで、10 ポンド(約 3,7 kg)のハンデをものともしない逃げ切りで勝ったときも、まだタイフーンの復活を信じることができず、老雄の健闘を讃えるような雰囲気にとどまっていた。

 だが、三日目の日本馬のチャンピオン戦。タイフーンは、レース半ば過ぎのところで先頭に立ち、直線での 3 頭の追い比べを制して、1 シーズンの間だけでチャンピオンの座に返り咲いた。
 それにとどまらず、さらには、中国馬との混合のハンデ戦でも、香港からの輸入馬を、直線での叩き合いの末に下して、4 シーズンぶりに中国馬までも打ち破ってしまった。

  3 戦 3 勝、再び力を示し、人々に驚きを与え、リトルマンはさらにリトルマンになった。

  1876 年 10 月、長年の対立をかかえていたヨコハマ・レース・クラブがついに分裂した。横浜をイングランド派とそれ以外の国といった形で二分する形となり、別にヨコハマ・レーシング・アソシエーションというクラブが結成された。
 タイフーンは、長年の競走馬生活で、足元が悪くなっていたところに、このドタバタ劇も響いたのかも知れない。調教中、その故障が発生するというアクシデントに見舞われた。

 ウィラーは、レース・クラブに属し、その看板馬であるタイフーンの出走は、この時期だからこそ望まれていた。タイフーンは、懸命に調整されて、何とか出走するところまでこぎつけられた。

 そのクラブの 11 月の開催。春の全勝の復活劇もあって、たとえ 3 本足でも楽勝するさとの声もあったくらいだったが、やはり足元は悪かった。
 初日のレースでは相手馬が楽走しているのについていけず、タイフーンの騎手は追うのを止めてしまった。二日目のレースでも、遅い勝時計にもかかわらず、それでも問題外の最下位に終わってしまった。ついに三日目には出走してこれなかった。

 この開催のレースぶりは、いよいよタイフーンの時代を終わりを居留民に感じさせたものとなった。

「この開催が横浜の最強馬の終わりとなるだろう。だがタイフーンの栄光に彩られた活躍は、引退しても永遠に語り継がれるだろう」
                 (Japan Weekly Mail November 4th,1876)

 だがタイフーンは、引退をしなかった。1877 年の春のシーズンに向けての入念な調整が行われ、レース・クラブ、レーシング・アソシエーション双方の開催に出走してきた。

 まず 5 月のアソシエーションの開催。初日のレース、接戦の末のレコード決着の 2 着となって復調を示した。そして三日目の日本馬のチャンピオンでは、まず先行、途中一旦は後退したものの、再度ハナを奪って、大きく引き離して直線に入り、そのまま勝ちを収めた。

 ついで 1 週間後のレース・クラブの春季開催。タイフーンは、初日のレースを 10 ポンドの増量を問題とせず、2 着に 2 馬身差をつけて勝った。同日の三菱がカップを寄贈した重賞レースでは 2 着だったが、猛然と追い込んできて着差はわずかにクビ。ついで三日目の中国馬との混合のハンデ戦(1 周)でも、レコードの 2 分 17 秒 3/4 からアタマ差の 2 着。ここでも直線に入ったときは先頭で、1 着の中国馬のチャンピオンと接戦を演じていたから、3 戦 1 勝 2 着 2 回でも悪くない成績だった。

 この春のシーズンの走りぶりは、新しく台頭してきた馬たちと互角以上にわたりあったものであった。限界説は、また打ち破られたかのようだった。

 だが振り返れば、1871 年秋季開催の初出走以来 7 年もの時間が経っていた。ある記録によれば、そのとき 7 歳と思われるから、このとき 13 歳を向かえていたことになる。いくら健在ぶりを示しても、足元の故障と年齢からくる衰えは隠せなかった。

 やはりというか、1877 年秋のシーズンは、はっきりとそれを示すものとなった。11 月のレース・クラブの開催。初日のレース、タイフーンはいつも通り先行、4 コーナーでヨレて直線で外埒沿いに走るという不利もあったが 3 着、二日目のレースでは着外、同日の敗者復活戦でも着外に終わってしまった。3 戦 3 着 1 回着外 2 回。ついに三日目には出走してこれなかった。

 もはやタイフーンの引退の時であることは、誰の目にも明らかであった。
 だが、ウィラーは、ここでも、タイフーンの並外れた力以上の何かを信じようとしていた。

 翌 1878 年の春秋のシーズンには、体調を整えるための休養にあてられた。この年、分裂していた二つのクラブは、日本側の協力を得て、ヨコハマ・ジョッキー・クラブとして新たな出発をしていた。

 タイフーンは、満を持して、1 年半ぶりに 1879 年 5 月の春季開催にエントリーした。当然評価は低いものとなっていたが、結果はそれ以上に無惨なものとなった。初日のレースでは大きく離された 3 着、三日目の未勝利戦でも 2 着だった。

 このとき、ウィラーは、ようやく、タイフーンとの別れを決断した。種牡馬となることも決まっていた。だが、残念ながら、その繋養先を突き止める資料は残されていないし、タイフーンの仔が出走した形跡もない。


 生涯成績 48戦23勝

  1875 〜 79 年分

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1875年
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5月12日
 Nippon Champion Plate(jp) 150ドル 1周
         3頭立−1着 2分20秒    2着 Tim Whiffler
5月13日
 Kanagawa Cup(jp)     3/4マイル
         5頭立−1着 1分39秒1/2 2着 Lodi
5月14日
 Farewell Cup(ap)            1周
         9頭立−着外          1着 Mahstoz
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11月3日
 Nippon Champion Plate(jp) 150ドル 1周
         4頭立−2着 2分20秒    1着 Mahstoz
 Yokohama Plate(jp)     5/8マイル
         4頭立−2着 1分20秒    1着 Lodi
11月4日
 Fujiyama Cup(jp)     1/2マイル
         3頭立−3着 1分3秒     1着 Lodi
11月5日
 Solace Cup(jp)       5/8マイル
        12頭立−1着 1分25秒1/2 2着 Black Douglas
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1876年
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5月17日
 Spring Stakes    3/4マイル
         3頭立−1着 1分41秒    2着 Stalemate
5月19日
 Nippon Champion Handicap(jp)  1周
         8頭立−1着 2分19秒    2着 Sirius
 Sayonara Stakes(ap)      1周
         7頭立−1着 2分19秒    2着 Talapoosa
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11月2日
 Coffee Cup(jp)   3/4マイル
         2頭立−競走中止        1着 Sirius
11月3日
 Yokohama Plate(jp) 5/8マイル
         4頭立−4着 1分24秒    1着 Drift
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1877年
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5月16日
 Akindo Cup(jp)  3/4マイル
         3頭立−2着 1分38秒1/2 1着 Kickapoo
5月18日
 Nippon Stakes(jp) 1マイル
         7頭立−1着 2分19秒3/4 2着 Kickapoo
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5月24日
 Akindo Cup(jp) 110ドル 3/4マイル
         4頭立−1着 1分39秒3/4 2着 Sandboy
 Mitsubisi Challenge Cup 200ドル 1周1dis
         3頭立−2着 2分40秒1/2 1着 Kickapoo
5月26日
 Sayonara Stakes(ap)    1周
         5頭立−2着 2分17秒3/4 1着 Crusader
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11月7日
 Autumn Plate(jp)      3/4マイル
         6頭立−3着 1分43秒    1着 Annandale
11月8日
 Mitsubisi Challenge Cup(jp) 200ドル 1周1dis
         5頭立−着外 2分41秒    1着 Distemper
 Lottery Cup(jp)      5/8マイル       
4頭立−4着 1分21秒3/4 1着 Exile
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1878年
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         不出走
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1879年
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5月6日
 Consular Cup(jp)    3/4マイル
         6頭立−3着 1分38秒1/2 1着同着 Kangaroo
  Mamenrook
5月8日
 Japan Consolation(jp) 5/8マイル
         8頭立−2着 1分20秒3/4 1着 Jim Hills
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jp=japan pony(日本馬)、ap=japan pony & china pony(中国馬)
1周=約1700m、dis=distance(約100m)