第7回 鎌倉(後編)

 1882(明治15年)秋のシーズン。
 当時、春秋のシーズンは、それぞれ5月初旬、11月初旬から始められ、2週間前後の間隔で、ニッポン・レース・クラブ(横浜・根岸競馬場)、共同競馬会社(戸山競馬場)、三田興農競馬会社(三田競馬場)の順序で開催されるのが常だった。

 まずニッポン・レース・クラブの開催。鎌倉は、初日、二日目と3戦1勝だったが、一番手という高い評価は変わらず、三日目の日本馬のチャンピオン戦を本命で迎えていた。

 ここには、二日目に鎌倉を下していた勝鯨波(かちどき)という馬が出走していた。勝鯨波は、陸軍省軍馬局の相良長発中佐の名義、青毛。デビューは、前年の1881年秋のシーズン。騎手も軍馬局の根村市利。相良は軍馬局の競馬関係者の中核で、根村は多くの勝鞍をあげていた。

 他には、1881〜2年にかけての横浜の日本馬のチャンピオンだったアナンデール Annadale も出走。オーナーは、ケスウィック J.J.Keswick 。当時の東アジアの大商社であるジャーディンマセンソン Jardine,Matheon & Co.の横浜支配人で、大厩舎を構えていた人物であった。

 このチャンピオン戦、鎌倉は、直線で楽々と抜け出して優勝した。レースは、アナンデールがまず先行したものの、道中で大きく後退、直線で盛り返したが2着、勝鯨波は直線でバカついてしまっていた。
 鎌倉、初のチャンピオンカップの獲得であった。

 この勢いで鎌倉は、中国馬との混合の開催チャンピオン決定戦に、ただ1頭の日本馬として臨み、2、3着の中国馬より1〜2ポンド重いハンデを背負ってはいてたが、楽々とこのレースも制した。中国馬を破ることは、この時代でも、日本馬の強豪馬の証ではあったが、鎌倉クラスになると、中国馬を問題としなくなり始めていた。

 つぎの共同競馬会社の開催では、根岸のチャンピオンの鎌倉に、注目も人気も集まり、賭けでも当然ながら本命にとなる。
 初日には、鎌倉、岩川(前回参照)、勝鯨波らが出走するレースが行われる。岩川と勝鯨波は、鎌倉への挑戦者と認められる存在になっていたから、観客たちは、固唾を呑んで見守っていた。レースは、その期待に違わないものとなり、鎌倉と勝鯨波が、ほぼ同時にゴールに入線するほどの熱戦となった。一旦は、勝鯨波の勝ちとの判定が下されたが、鎌倉側が異議を唱え、審議の結果、両馬のデッドヒート(同着)となった。

 その後、決定戦のマッチ・レースが行われ、今度も接戦となったが、鎌倉がクビ差で勝った。
 このレース中、観客は、手を叩き、声を揚げ、また贔屓の馬の名前をそれぞれ叫ぶなど、熱狂したという。ある横浜の居留民が、片手に帽子を持って、「鎌倉、鎌倉」と叫んで、我を忘れて馬場を駆け回っていた姿も記録されている。
 強い馬に、巧い騎手が乗っての熱戦、これに賭けが加わっていたのであるから、当時の競馬も、相当の興奮を伴っていたのも当然だった。

 翌日のチャンピオン決定戦も、鎌倉、勝鯨波、岩川らの対戦となった。前日勝った鎌倉は、7ポンド増量で出てくる。
 レースは7分あたりから、鎌倉と勝鯨波が抜け出して2頭の争いとなったが、ここ一番のレースでは鎌倉が本領を発揮して、勝鯨波を寄せ付けない格好となった。勝鯨波が2着、岩川は着外だった。
 このレース、勝鯨波の騎手が、鎌倉の吉川勝江の鞭の使用法に異議を唱えたが、却下されている。
 日本の競馬は、その始まりから、ニューマーケット・ルールに準拠した規則を備えており、このような異議の申出は珍しいことではなかった。

 この二日目、再び、鎌倉、岩川、勝鯨波が対戦している。賭けは当然、鎌倉が本命、オッズは2倍だった。
 だが今度は、9分あたりから抜け出した勝鯨波が勝ち、鎌倉は1/2馬身差の2着、岩川は3着。チャンピオン戦の後だったことで、鎌倉が気を抜いたのだろうが、勝鯨波も力をつけていたことは確かだった。岩川は、この開催、未勝利に終わる。

 この後の三田の開催には、鎌倉、岩川、勝鯨波の3頭は出走しなかった。

 明けて1883(明治16)年春のシーズン。成長をみせた岩川が、鎌倉、勝鯨波の間に割って入った格好で、レースが繰り広げられる。すでに居留民所有の日本馬では、この3頭に勝てなくなっていた。

 まず5月の根岸の開催。
 初日のレースでは、岩川が勝ち、鎌倉が2着、3着が勝鯨波。二日目、今度は、鎌倉が楽勝し、岩川を2着に、勝鯨波を3着に下していた。三日目の日本馬のチャンピオン戦には、岩川、勝鯨波の2頭が出走してこなかったから、鎌倉が20馬身差という大楽勝劇を演じる。

 開催勝馬による中国馬との混合戦には、鎌倉と岩川が出走し、残りの5頭は中国馬で、事実上のチャンピオン戦となる。
 鎌倉と岩川は、中国馬を相手にしなかった。レースは、鎌倉がまずハナを切り、半マイル地点で、今度は岩川が先頭に立とうとしたが、鎌倉も譲らなかった。そのまま直線に入って、2頭の叩き合いがゴールまで続いた。判定は同着。
 2頭の決定戦も、再び接戦となったが、ここでは岩川がアタマ差で勝ったと判定される。だが、鎌倉が日本馬のチャンピオンであることは、衆目の一致するところであった。

 根岸から2週間後の戸山の開催。ここから共同競馬会社の開催は、三日間となっていた。
 初日に、鎌倉、岩川、勝鯨波の3頭は対決し、鎌倉がまず先行、勝鯨波が鎌倉に並び掛け、直線では2頭の追い比べとなる。最後は、勝鯨波が1/2馬身差で鎌倉を下し、岩川は 3 着となる。
 鎌倉、岩川は、初日のその後のレースにも出走してきたが、直接顔を合わせなければ、他馬を寄せ付けずに、それぞれ勝鞍をあげていた。

 翌日のチャンピオンレース、三菱会社賞典(300円)には当然、鎌倉、岩川、勝鯨波の3頭が出走するが、本気で臨めば鎌倉の強さが断然で、2着岩川、3着勝鯨波だった。この二日目、鎌倉はもう1勝を加えている。
 なお三菱は、根岸、三田にも賞典を出していて、副社長の岩崎弥太郎は有力な馬主でもあった。この鹿鳴館時代の競馬と三菱の関係が、後の小岩井牧場でのサラブレッド生産につながっていく。

 三日目、鎌倉は短距離戦でさらに1勝を加えた後、岩川、勝鯨波とのレースに臨んだ。ここでは、勝鯨波が残り400mで先頭にたち、直線に入ったが、鎌倉が一気に追い込んで勝った。その様子は、「疾風の如く一層の速力を増」すような凄さだったという。

 この直後の三田の開催でも鎌倉は、二日目の宮内省賞典とチャンピオンレースの三菱会社賞盃(300円)に勝ち、2勝を加える。

 1883年春のシーズンの鎌倉の戦績は、根岸で4戦2勝、戸山で6戦5勝、三田では2戦2勝、計12戦9勝で、しかも3場のチャンピオンレースの総てに勝っていた。トップが鎌倉、差がある2位、3位が岩川、勝鯨波というのが、このシーズンでの3馬の力関係だった。

 鎌倉は、ますます強さを加えようとしていた。まだ7歳、当時の日本馬の競走馬としては、これから円熟期に入るのが常だった。

 この年の6月、共同競馬会社が、戸山から上野・不忍池への競馬場移転を決定するなど、競馬は新たな段階を迎えようとしていた。鎌倉は、その時代にふさわしいスターとなるはずだった。

 だが残念なことにそれもかなわぬ夢となる。1883年の春のシーズンが終わった7月6日、鎌倉は突然病に襲われ、8月3日に死亡してしまったからである。
 生涯成績は、判明分で48戦32勝。獲得賞金は2万円にも及んだという記録もあるが、私の計算では5000円ほどとなる。その他、天皇や皇族からの「下賜品」も獲得していた。

 馬主の藤崎忠貞は、その死を深く悼んで、墓碑を千葉県富里町に建てたが、現在もそれが残されている。その碑文には、大要つぎのように記されている。

「鎌倉は、まず一伯楽が奥州七戸で入手、ついである外国人に売ったが、4歳の時、藤崎がその素質を見抜いて多額な謝礼で譲り受け、5歳、明治14(1881)年、根岸の春季開催にデビュー、35回出走して記録的な勝利をあげた。巨額の値で譲渡を申し込まれても、藤崎は固辞を続けた。明治16年7月6日突然の病に襲われ、医師の百方手を尽くした治療も効を奏さず死亡した。」

 後世には忘れ去られてしまったとはいえ、このような墓碑に示されているように、鎌倉は、少なくとも鹿鳴館時代には、名馬として語り継がれようとしていた馬だった。

  生涯成績 48戦32勝(判明分)

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1881(明治14)年
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5月9日(根岸競馬場) 
 第1レース Griffins' Plate(jp) 5ハロン 賞金150ドル
         6頭立 1着 1分21秒2/3 2着精錬
 10日
 第5レース Bankers' Cup(jp)  1周   
         3頭立 1着 2分16秒    2着三沢
 11日
 第1レース Diplomatic Cup(jp) 1周
         3頭立 2着 2分16秒3/4 1着 Annandale
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5月29日(戸山競馬場)
 第3レース(jp)         1周   賞金60円
            1着 吉川勝江 1分47秒   
  30日
 第7レース(jp)         1周
            1着 吉川勝江 1分45秒
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6月25日(三田競馬場)
 第5レース(jp)
   1着
  26日
 第2レース(jp)
         2頭立 1着
 番外(天皇御好・第4レース・jp)  天皇から紺鍜子1巻
         8頭立 1着
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11月4日(根岸競馬場)
 第9レース Fujiyama Plate(jp) 3/4マイル 賞金125ドル
         4頭立 2着 1分39秒1/2 1着 雷
   5日
 第4レース Patrons' Cup(jp)  3/4マイル
         単走
 第8レース Negisi Plate(jp)  1周    賞金150ドル
         4頭立 4着  2分25秒   1着 Annandale
   6日
 第8レース Matusu-Bishi Challenge Cup(jp)1周 賞金500ドル
         5頭立 3着  2分18秒3/4 1着 Annandale
第9レース Autumn Handicap(ap) 1周  賞金200ドル
        11頭立 着外  2分15秒 1着 Peacock
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11月19日(戸山競馬場)
 第2レース 皇族下賜賞典(jp)   1周  賞典と各馬登録料
             1着        
第5レース(jp)          1周
             1着
   27日
 第2レース 皇族下賜賞典(jp)   1周  銀瓶と各馬登録料
         3頭立 1着  1分48秒 2着 雷
 第4レース 宮内省下賜賞典(jp)  1周  賞典と各馬登録料
         3頭立 1着  1分49秒 2着 雷
 番外(jp) 1周  天皇が賞典を下賜
             1着  1分52秒
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12月3日(三田競馬場)
 第3レース(jp)    
1着 吉川勝江
 第5レース(jp)
1着 吉川勝江
   4日
 第3レース(jp)     7ハロン
             1着 吉川勝江 1分40秒
 第5レース 優勝景物(jp)5ハロン1dis
             1着       2着 カタフェルト
 第8レース  
      1着       2着 カタフェルト
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1882(明治15)年
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5月8、9、10日 根岸開催不出走
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5月27日(戸山競馬場)
 第2レース(jp)      1周  賞金70円
         3頭立 2着  1着 宮岡
  28日
 第4レース(jp)    3/4マイル 賞金100円
         4頭立 2着       1着 三沢
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6月10日(三田競馬場)
 第3レース 農務局賞典(jp)
         3頭立 2着 吉川勝江  1着 岩川
 第4レース 宮内省賞典(jp)
             1着
  11日
 第4レース(jp)
             1着
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10月30日(根岸競馬場)
 第5レース Rikugunsho Cup(jp) 1/2マイル
         6頭立 2着 1分1秒   1着 花ノ戸
 第7レース Nousyomusyo Cup(jp) 3/4マイル 
         7頭立 1着 1分37秒  2着 勝鯨波
   31日
 第7レース Negishi Plate(jp) 1周 賞金150ドル
         5頭立 着外 2分16秒1/2 1着 勝鯨波
11月1日
 第6レース Japan Champion Cup(jp) 1周 賞金150ドル
         3頭立 1着 2分18秒  2着 Annandale
第8レース Autumn Handicap(ap)  1周 賞金125ドル
         9頭立 1着 2分16秒1/4 2着 Red Heart
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11月18日(戸山競馬場)
 第2レース(jp)              賞金80円
         4頭立 1着 小西賢 勝鯨波と同着、決戦で勝利
   19日
 第5レース(jp)       1マイル40ヤード 
         4頭立 1着 吉川勝江 2分31秒 2着 勝鯨波
 第7レース 皇族下賜賞典(jp) 1周  
      5頭立 2着 吉川勝江 2分19秒 1着 勝鯨波
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12月3、4日 三田競馬場開催不出走
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1883(明治16)年
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5月16日(根岸競馬場)
 第7レース Yokohama Plate(jp) 3/4マイル
         4頭立 2着 1分36秒3/4 1着 岩川
17日
 第7レース Negishi Stakes(jp) 1周 賞金150ドル
         4頭立 1着 2分21秒1/4 2着 岩川
  18日 
 第6レース Japan Champion Cup(jp)1周 賞金150ドル
         2頭立 1着 2分15秒1/2 2着 南山
 第8レース Spring Handicap(ap) 1周 賞金125ドル
         7頭立 1着同着 2分13秒1/2
           岩川との決戦で敗退
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6月2日(戸山競馬場)
 第2レース(jp)      1周 賞金100円
         3頭立 2着 1分51秒 1着 勝鯨波
 第4レース 皇族下賜賞典(jp)1周 
         7頭立 1着 1分54秒 2着 三沢
  3日
 第3レース 三菱会社賞典(jp)1周3/4 賞金300円
         4頭立 1着 2分47秒 2着 岩川
 第5レース(jp)        1周   賞金100円
         5頭立 1着 1分41秒3/5 2着 カタフェルト
  4日
 第4レース(jp)       1/2周 宮内省賞典と各馬登録料
         5頭立 1着 吉川勝江 48秒1/2 2着 木崎野
 第6レース(jp)       1周1/4 宮内省賞典と各馬登録料
         3頭立 1着 吉川勝江 2分10秒 2着 勝鯨波
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6月10日(三田競馬場)
 第4レース 宮内省賞典(jp)    1/2周  賞金35円
         4頭立 1着 吉川勝江  2着 飛電
 第8レース 三菱会社賞盃(jp)   1/2周  賞金300円
         2頭立 1着       2着 綾錦
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 根岸競馬場1周:約1700m
 戸山競馬場1周:約1280m
 三田競馬場1周:約1100m

  jp=japan pony(日本馬)
  ap=japan pony &  china pony(中国馬) 
  dis(distance)=約100m
 着順の後の人名は騎手