第8回 岩 川(前編)
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岩川は、鹿児島産、栃栗毛、4尺8寸(約145.4センチ)。 1881(明治14)年秋のシーズンにデビュー、鎌倉に挑んで活躍を見せるようになっていた(第6、7回参照)。 名義は、1884(明治17)年の春のシーズンまでは、農商務省勧農局の波多野尹政、あるいは岩手厚雄、主戦騎手は下総種蓄場の林駒吉だった。 勧農局は、宮内省御厩課、陸軍省軍馬局と並ぶ鹿鳴館時代の競馬の推進部局であったが、岩川は、そこから出現した日本馬の代表的存在だった。 ライバルの勝鯨波は、軍馬局の代表馬だったが、馬政の主導権をめぐっては、農商務省と陸軍省が何かと対立していたから、2頭の争いは両部局のメンツもかかっていた。 またこの時代の鹿児島産としては、岩川が唯一の活躍馬だったが、薩摩は、古くから馬産地としても有名で、西郷従道や松方正義を始めとして薩摩藩出身者は、明治の競馬の中心的役割を果たしていた。 鎌倉亡き後の1883(明治16)年秋のシーズン。伏兵馬に1敗は喫したものライバルの勝鯨波を下しての6戦5勝、ほぼ完璧な成績だった。 まず、ニッポン・レース・クラブの開催。 初日、早速、岩川と勝鯨波の争いとなったが、鞭も入れない岩川の楽勝劇に終わった。以後のレース、勝鯨波が岩川との直接対決を回避してしまうほどの強さだった。 二日目には、外務省挑戦賞典 Gaimusho Challenge Prize が実施された。 この賞典は、外務卿井上馨が、条約改正交渉が本格的になっていくなかで、内外友好の証として、この開催から創設したものだった。当時の「重賞」の通例で、二開催連続勝利で獲得という条件付ではあったが、賞金は500ドルという最高額だったから、それだけでもオーナーにとって欲しいタイトルであった。 それにも関わらず、岩川を前にして回避馬が続出、2頭立となってしまい、ここも当然、岩川があっさりと制した。 三日目、チャンピオン決定戦の三菱挑戦賞盃 Mitsu-Bishi Challenge Cup が組まれていた。 このレースは、開催勝馬に出走を義務づけ、1勝毎に10ドルの登録料を徴収して賞金に附加する「重賞」だった。ところが、今回はもはや、岩川に挑戦する馬すらいなかった。岩川は、ただ1頭、王者としてターフを走った。 なおこの開催で岩川に騎乗していたロクストンは、警察関係のお雇いで、1877(明治10)年から根岸で騎乗を始め、多くの勝鞍を重ねていた人物だった。 岩川は、この秋季開催以降、1884年春季から1885年春季までの3開催、根岸での出走を見合わせることになった。日本馬のレースの勝鞍を、日本人オーナーが独占することに不満な居留民側の感情に配慮したものだった。 根岸のチャンピオンとして迎えた共同競馬会社の秋季開催。岩川は、どちらかというと、芝よりは土のコースに安定感があったから、向かうところ敵なしとの前評判であった。 初日、この日、臨場していた明治天皇も岩川に強い関心を示していた。勝鯨波の2頭立となったレース。両頭は期待通りに接戦を展開、ゴールまで互いに譲らなかった。競馬場は興奮につつまれ、天皇も身を乗り出して観戦したという。判定は、岩川のハナ差の勝利であった。 二日目、岩川が皇族下賜賞典、勝鯨波が宮内省賞典という重要なレースにそれぞれ勝鞍をあげて、両頭は再び対戦する。だがこのレースを勝ったのは、三沢という伏兵馬だった。しかしこの敗戦も、岩川には何のダメージも与えなかった。 翌1884(明治17)年を迎えて、岩川は強さを増していた。 春のシーズン、戸山競馬場の開催。1879(明治12)年11月から続けられていたここでの最後のものだった。岩川は、その有終の美を飾るチャンピオンとなった。 初日の皇族下賜賞典。このレースは、昨秋に続いて、勝鯨波とゴールまでもつれ込んで同着との判定とはなったが、三日目の開催勝馬によるチャンピオン戦では、岩川が文句のない勝利を収めて決着をきっちりとつけていた。 この1884(明治17)年3月から、上野・不忍池競馬場の建設が進められていた。総工費約12万円、10月、屋外の鹿鳴館ともいうべき壮大な競馬場が誕生した。11月の第1回開催は、国家的一大行事となる。 この開催の最大賞金レースは、新馬戦の1000円(1着700円)だったが、当然、古馬には出走権がなかった。岩川と勝鯨波の2頭が姿を見せたのは、初日、日本馬の「最壮馬」のレース、賞金200円の皇族下賜賞典で、岩川があっさりと勝ち、ライバルはかつての面影を失っていた。 この開催、勝鯨波は未勝利に終わり、直後の根岸の開催にも出走してこなかった。そのまま競馬場から姿を消してしまったから、結局、これが岩川と勝鯨波が直接顔を会わせた最後のレースとなる。 勝鯨波に代わるかのように、力をつけ始めていたのが墨染、呼子といった新興勢力だった。 三日目、開催の勝馬を集めたチャンピオン戦。その墨染、呼子といった馬も出走してきたが、岩川が強さをみせつけ、問題としなかった。岩川は、この記念すべき開催、不忍池競馬場の初代の日本馬チャンピオン馬となった。 さらに岩川は、翌年の春秋シーズンを無敗のままで終えることになる。 生涯成績(判明分) 57戦35勝(1881〜1887年) 1881〜1884年分 =========================================================== 1881(明治14)年 ----------------------------------------------------------------------- 三田興農競馬会社(三田競馬場) 12月3日 第1レース(jp) 1着 林駒吉 =========================================================== 1882(明治15)年 ----------------------------------------------------------------------- 共同競馬会社(戸山競馬場) 5月27日 第5レース(jp) 1マイル 皇族からも50円賞金に附加 4頭立 1着 5月28日 第2レース(jp) 1マイル 賞金50円 3頭立 1着 林駒吉 ----------------------------------------------------------------------- 三田興農競馬会社(三田競馬場) 6月10日 第3レース 農務局賞典(jp) 3頭立 1着 林駒吉 2着 鎌倉 番外 4頭立 1着 6月11日 第4レース(jp) 3頭立 2着 1着 鎌倉 ----------------------------------------------------------------------- ニッポン・レース・クラブ(根岸競馬場) 10月30日 第7レース Nousyomusyo CUP(jp) 3/4マイル 7頭立 3着同着 1着 鎌倉 1分37秒 10月31日 第7レース Negishi Plate(jp) 1周 賞金150ドル 5頭立 2着同着 1着 勝鯨波 2分16秒1/2 11月1日 第4レース Japan Consolation(jp) 5ハロン 賞金100ドル 6頭立 2着 1着 山吹 1分20秒1/4 ----------------------------------------------------------------------- 共同競馬会社(戸山競馬場) 11月18日 第2レース(jp) 賞金80円 4頭立 3着 1着同着 鎌倉、勝鯨波 決定戦で鎌倉 第4レース 皇族下賜賞典(jp) 1周 賞金50円と各馬登録料半額 4頭立 2着 1着 カタフェルト 11月19日 第5レース(jp) 1マイル40ヤード 4頭立 4着 1着 鎌倉 2分31秒 第7レース 皇族下賜賞典(jp) 1周 5頭立 着外 1着 勝鯨波 2分19秒 =========================================================== 1883(明治16)年 ----------------------------------------------------------------------- ニッポン・レース・クラブ(根岸競馬場) 5月16日 第7レース Yokohama Plate(jp) 3/4マイル 4頭立 1着 ロクストン 1分36秒3/4 2着 鎌倉 5月17日 第7レース Negish Stakes(jp) 1周 賞金150ドル 4頭立 2着 1着 鎌倉 2分21秒1/4 5月18日 第8レース Spring Handicap(ap) 1周 賞金125ドル 7頭立 1着同着 鎌倉 2分13秒1/2 決定戦で岩川 ------------------------------------------------------------------------ 共同競馬会社(戸山競馬場) 6月2日 第2レース(jp) 1周 賞金100円 3頭立 3着 林駒吉 1着 勝鯨波 1分51秒 第5レース(jp) 1周 賞金100円 3頭立 1着 林駒吉 1分50秒1/4 2着 カタフェルト 6月3日 第3レース 三菱会社賞典(jp)1周3/4 賞金300円 4頭立 2着 林駒吉 1着 鎌倉 2分47秒 6月4日 第6レース(jp) 1周1/4 各馬登録料と宮内省から錦1巻 3頭立 3着 林駒吉 1着 鎌倉 2分10秒 ------------------------------------------------------------------------ ニッポン・レース・クラブ(根岸競馬場) 11月6日 第7レース Negishi Plate(jp) 3/4マイル 賞金100ドル 3頭立 1着 ロクストン 1分38秒 2着 勝鯨波 11月7日 番外 Gaimusho Challenge Prize(jp) 3/4マイル 賞金500ドル 2頭立 1着 1分43秒1/2 2着 Back Eye 11月8日 第5レース Mitsu-Bishi Challenge CUP(jp) 1周 単走 ------------------------------------------------------------------------ 共同競馬会社(戸山競馬場) 11月17日 第3レース(jp) 12町50間 賞金100円 2頭立 1着 林駒吉 2着 勝鯨波 11月18日 第5レース 皇族下賜賞典(jp) 11町 賞金100円 3頭立 1着 林駒吉 2着 カタフェルト 第7レース(jp) 12町50間 賞典は横浜居留民寄贈 3頭立 3着 林駒吉 1着 三沢 ============================================================= 1884(明治17)年 ------------------------------------------------------------------------ 共同競馬会社(戸山競馬場) 4月26日 第5レース 皇族下賜賞典(jp) 14町40間 賞金100円 2頭立 勝鯨波と1着同着 林駒吉 4月28日 第7レース(jp)*開催勝馬登録義務 賞金200円 6頭立 1着 林駒吉 ------------------------------------------------------------------------ 共同競馬会社(不忍池競馬場) 11月1日 第6レース 皇族下賜賞典(jp) 14町40間 賞金200円 2頭立 1着 林駒吉 2分17秒 2着 勝鯨波 11月3日 第8レース(jp)*開催勝馬登録義務 14町40間 賞金200円 5頭立 1着 林駒吉 2着 墨染 ------------------------------------------------------------------------ 根岸競馬場1周:約1700m 戸山競馬場1周:約1280m 三田競馬場1周:約1100m 不忍池競馬場1周:約1600m 11町=3/4マイル 12町50間=7/8マイル 14町40間=1マイル 16町30間=1マイル1/4 jp=japan pony(日本馬) ap=japan pony & china pony(中国馬) dis(distance)=約100m 着順の後の人名は騎手 |