第9回 岩 川(後編)
|
|
1885(明治18)年、5月の不忍池の開催には、勝鯨波が姿を消し、墨染と呼子の2頭が、岩川に挑戦する形となった。 岩川は初日、二日目の2走とも、墨染らを全く問題としなかったが、三日目の初戦では墨染が大健闘し、かろうじて同着に持ち込む。もっとも岩川のほうは、楽走したにすぎない。 岩川の断然の実力は、誰の目にも明らかだった。この日の、というより、この開催のメインレースであった、チャンピオン戦の宮内省下賜賞典には、開催勝馬に登録を義務付けていたので、墨染も含めて11頭が登録する。しかし「到底岩川に勝を得るの見込み」がないと、他馬は出走を回避してしまう。 単走となった岩川は、通常のレースよりも30秒以上の時計を要して悠然と駆けたが、その姿は「あたかも横綱免許の一人土俵入りといふ風情」だったという。 この春季開催の戦績は4戦4勝(同着1回)、岩川は絶頂期を迎えていた。 だが、春のシーズン終了後、岩川の名義人であった波多野尹政は、同馬を手放してしまう。この年、下総種畜場の所管が、農商務省から宮内省へ移り、また農商務省も、秋のシーズンから一旦は競馬より撤退するため、それに伴う処置だった。 岩川を入手したのは子爵分部光謙で、譲渡価格は、当時としては高額の約700円位だったという。 分部は、旧近江・大溝藩主で、83年の春のシーズンから各競馬会社の開催に馬主として登場し、すぐに最大の馬主となる。ニッポン・レース・クラブでも、分部の厩舎は居留民と伍して戦い、四大厩舎の一つに数えられたほどだった。 岩川を入手したのは85年だが、この年の不忍池競馬・秋季開催では、番外を含む全23レースの内、12も勝鞍をあげるという記録も残している。 また騎手としても、86年の根岸・春季開催における婦人財嚢競走で、日本人として初めて勝利し、翌年春季の同競走も連覇するなど、名を馳せていった。 折から華族の間でさかんとなっていた打毬(だきゅう、いわば日本式ポロ)にも、打ち込んでいた。 さらには、共同競馬会社を代表して、くじ馬(会員に抽籤配布)購入に奥州に出向いたり、開催に賞金を寄贈して、特別レースを組ませたりもしていた。 このような分部だったので、名馬・岩川がどうしても欲しかったのだろう。 しかし分部は、競馬への熱中があまりに度を超してしまったのか、87年7月に華族会館から、「家産を浪費し華族たる品位を失」したとして「謹慎10日」の処分を受けてしまう。残念ながら、この後、分部の姿は競馬界から消えてしまうことになる。 85年の秋のシーズンに話を戻そう。 分部が岩川を入手して臨んだ10月の不忍池・秋季開催では、初日から、岩川と、春の根岸で5戦5勝だった墨染とのマッチレースが、早速実現したが、岩川の圧倒的な強さばかりが目立った。 その結果、二日目はまたもや単走、三日目の開催勝馬を集めた優勝賞盃では、やっと2頭立にこぎつけ、ここでも当然、その馬を問題としなかった。 これで岩川は、不忍池競馬場では、第1回開催の84年・秋季から3連続でチャンピオン、優勝戦を制したことになる。しかも84年・秋季は2戦2勝、85年・春季は4戦4勝(同着1回)、秋季は3戦3勝、計9戦全勝という完壁な成績であった。 この後岩川は、10月の根岸の秋季開催に3シーズンぶりに姿を現し、中国馬との混合戦では2戦1勝に終わるが、評価は全く変わらなかった。分部がオーナーとなったことで、根岸への再出走が実現したのである。 こうして岩川は、芝の根岸は別として、土のコースでは最強の日本馬として85年のシーズンを終えた。 「全国無双の逸物」、「日本第一の駿足」といった岩川の評判は全国に鳴り響き、翌年春のシーズンを前に、この岩川に闘いを挑むべく、多くの馬たちが東上してきた。 だが、86年4月の春季・不忍池開催において、実際の岩川を目の前にすると、ほとんどの馬は挑戦を諦めてしまう。そのため、岩川の初登場となった初日のレースは、またしても単走となる。 それでも、直前に行われた新馬戦は、岩川への挑戦者決定戦の趣をもち、英(はなぶさ)という馬が、とんでもなく強い勝ち方をしていた。英は二日目も圧勝し、その勝ちぶりは、岩川との対決を充分に期待させるものがあった。 三日目の優勝(チャンピオン)戦では、他の馬が回避して、岩川、英の2頭の直接対決となった。 場内は大いに沸いたが、勝負はあっけなく終わる。先行した岩川を、英はあっさりと交わして破ってしまったからで、英が131ポンド、岩川が144ポンドと、13ポンドの斤量差があったとはいえ、文句のつけようのない圧勝劇だった。 後から振り返れば、この2頭の対戦は、日本馬のレースが、その役割を終えつつあることを告げるものとなった。 というのは、英は、日本馬といってもトロッター種との雑種馬の疑いが強く、しかもこの頃から、英のような「偽籍馬」が、日本馬のレースに出走してくるケースが増えつつあったからである。「偽籍馬」が日本馬として登録されれば、能力の劣る日本馬では勝負にならないし、またレースそのものが能力検定の意味を全くなさなくなる。 共同競馬会社も、ニッポン・レース・クラブも、「偽籍馬」対策を講じ、結局は、日本馬のレースそのものの廃止に向かい、雑種馬に重点を移すことになっていった。 もちろん、英などの「偽籍馬」を除けば、岩川はまだ強く、その後も87年の秋シーズンまでは活躍を続け、最後のシーズンには、不忍池のチャンピオンの座にもカムバックする。 このカムバック劇は、英などが締め出されたことでもたらされたが、それでも1884〜85年にかけて発揮された強さの評価を高めこそすれ、低めるものではなかった。 そのまま無事に引退すれば、鹿鳴館時代の競馬における鹿児島産唯一の活躍馬だったので、種牡馬になる可能性は大きかった。だが、1887年秋のシーズン後に死亡し、その道も閉ざされてしまう。 生涯成績(判明分) 57戦35勝(1881〜1887年) 1885〜1887年分 ========================================================== 1885(明治18)年 ------------------------------------------------------------------------ 共同競馬会社(不忍池競馬場) 5月1日 第4レース 三菱会社賞盃(jp) 14町40間 賞金100円 3頭立 1着 林駒吉 2分14秒 2着 墨染 5月2日 第3レース 華族有志者賞盃(jp) 18町20間 賞金100円 2頭立 1着 林駒吉 2分57秒1/4 2着 墨染 5月3日 第2レース 東京有志者賞盃(jp) 14町40間 賞金300円 8頭立 墨染と1着同着 林駒吉 2分15秒 第7レース 宮内省下賜賞典(jp) 14町40間 賞金200円 単走 林駒吉 2分41秒 ----------------------------------------------------------------------- 共同競馬会社(不忍池競馬場) 10月23日 第3レース(jp) 14町40間 賞金100円 2頭立 1着 林駒吉 2着 墨染 10月25日 第3レース(jp) 14町40間 単走 根村市利 10月26日 第3レース 優勝賞盃(jp) 賞金150円 2頭立 1着 根村市利 ----------------------------------------------------------------------- ニッポン・レース・クラブ(根岸競馬場) 10月28日 第4レース 海軍賞盃(ap) 賞金100ドル 3頭立 1着 根村市利 第7レース 横浜賞盃(ap) 賞金100ドル 2頭立 2着 1着 サムライ ========================================================= 1886(明治19)年 ----------------------------------------------------------------------- 共同競馬会社(不忍池競馬場) 4月23日 第3レース(jp) 14町40間 賞金100円 単走 下村人礼 4月25日 第8レース 優勝戦(jp) 1周 賞金150円 2頭立 2着 下村人礼 1着 英 ----------------------------------------------------------------------- ニッポン・レース・クラブ(根岸競馬場) 5月26日 第3レース 各国公使賞盃(ap) 3/4マイル 5頭立 1着 林駒吉 5月27日 第7レース 根岸景物(不明) 1マイル 4頭立 1着 林駒吉 ------------------------------------------------------------------------ ニッポン・レース・クラブ(根岸競馬場) 10月26日 第7レース Negishi Plate(jp) 3/4マイル 6頭立 1着 下村人礼 1分37秒1/4 2着 呼子 10月27日 第1レース Caeserwitch Stakes(ap) 3/4マイル 賞金200ドル 11頭立 3着 下村人礼 1着 住吉 1分41秒1/2 第7レース Hall Lottery Purse(jp) 1周1dis 5頭立 2着 下村人礼 1着 呼子 2分34秒 10月28日 第3レース Members'Plate(ap) 5ハロン 6頭立 1着 アンドリース 1分18秒1/2 2着 英 第6レース Champion Stakes(ap) 1マイル1/4 6頭立 2着 下村人礼 1着 サムライ 2分48秒 ----------------------------------------------------------------------- 共同競馬会社(不忍池競馬場) 11月20日 第3レース 皇族下賜賞典(jp) 1周 賞金100円 3頭立 3着 下村人礼 1着 呼子 2分15秒 11月21日 第7レース 優勝景物(日本馬・雑種馬) 1周 賞金200円と花瓶 3頭立 3着 根村市利 1着 日光 2分3秒 ========================================================= 1887(明治20)年 ----------------------------------------------------------------------- ニッポン・レース・クラブ(根岸競馬場) 5月18日 第8レース 根岸景物(jp) 3/4マイル 4頭立 1着 久保田成章 ----------------------------------------------------------------------- 共同競馬会社(不忍池競馬場) 6月4日 第7レース 皇族下賜賞典(jp) 14町40間 賞金100円 4頭立 2着以下 1着 英 2分10秒 6月5日 第6レース 撫恤景物(jp) 11町 賞金150円 2頭立 1着 久保田成章 2分0秒 2着 勝霧 第9レース 春季重量負担景物(jp) 16町30間 6頭立 2着 久保田成章 1着 播磨 2分45秒 ----------------------------------------------------------------------- ニッポン・レース・クラブ(根岸競馬場) 10月27日 第4レース 日本馬ハンデキャップ景物 3/4マイル 2頭立 1着 久保田成章 1分38秒 2着 サツマ ----------------------------------------------------------------------- 共同競馬会社(不忍池競馬場) 11月11日 第5レース 上野賞盃(jp) 14町40間 賞金100円 3頭立 1着 久保田成章 2分19秒 11月12日 第6レース 不忍賞盃(jp) 14町40間 賞金150円 4頭立 1着 久保田成章 2分17秒 ------------------------------------------------------------------------ 根岸競馬場1周:約1700m 不忍池競馬場1周:約1600m 11町 =3/4マイル 12町50間=7/8マイル 14町40間=1マイル 16町30間=1マイル1/4 jp=japan pony(日本馬) ap=japan pony & china pony(中国馬) dis(distance)=約100m 着順の後の人名は騎手 |