第10回 墨 染

 墨染は南部産の日本馬、青毛、4尺8寸5分(約147cm)。日本馬としては大きかった。
 明治10年代後半から、不忍池と根岸の競馬では、北海道産馬が南部馬に対して優勢を占めるようになり、南部馬は次第に姿を消していったが、墨染はその南部馬の最後の活躍馬だった。

 デビューは、1883(明治16)年11月の根岸の秋季開催、初日の新馬レース。前評判は高くなかったが、スタート直後に先頭に立ち、途中一端はハナを譲ったものの、直線で差し返して、3馬身差で楽勝するという味のある勝ち方を見せた。

 名義は大河内正質、騎乗は岡治善。大河内は、旧上総大多喜藩主、宮内省の競馬関係の中心人物、岡は同省御厩課所属で各競馬場で活躍を見せていた。
 宮内省の日本馬としては、雷(イカヅチ)以来の期待馬の誕生を予感させた。

 だがこの直後の戸山の開催では、3走とも着外に終わった。芝に比べれば、土のコースでは、その走りに甘さが目立った。芝ほどの能力を発揮できない、というのが、デビューのシーズンの墨染への評価だった。

 したがって翌1884(明治17)年4月の戸山の開催は、その後の根岸への足ならしと思われていた。
 ところが、相手が少し軽かったとはいえ、昨秋とは異なって墨染は、勝負強さを見せ、宮内省賞典を含む2勝をあげた。ここで来るべき秋の不忍池競馬場の開催、岩川の挑戦者として一躍期待される存在となった。

 土のコースの戸山でも成長を見せたことで、根岸では、デビュー2シーズン目で、すでに本命視される存在となった。
 二日目には敗れたが、墨染は期待に応え、三日目のチャンピオン戦を含めて4戦3勝をあげた。その勝ちぶりは、王者の風格すら感じさせるものであった。
 墨染は、以後の3シーズン、根岸の芝のコースを無敗で駆け抜けることになる。

 1884年秋のシーズン。
 11月、上野・不忍池競馬場での共同競馬会社の第1回の開催。この国家的一大行事であった開催は、墨染にとっては、岩川への挑戦の場でもあった。
 だが、初日の日本馬の「最壮馬」レースも、三日目のチャンピオンレースも、全く歯が立たず、力の差をまざまざと見せつけられた結果となった。
 もちろん、岩川がいない他のレースでは2勝をあげ、賞金500円を獲得してはいたが、土のコースでは、せいぜい2、3番手という評価となった。

 だが芝の根岸になれば全く話は違った。
 初日・農商務省景物、二日目・県令花瓶賞、外務省挑戦賞典、三日目・チャンピオン戦の三菱賞盃を制覇し、4戦4勝。しかも4つとも、非常に重みのあるレースであった。
 農商務省景物は、競馬の推進部局の寄贈、県令花瓶と三菱賞盃は、各々1872、1876年にまでさかのぼり、また外務省挑戦は、500ドル(1000円)という高額賞金レースだった。
 芝コース、最強の日本馬にふさわしい成績だった。

 明けて1885(明治18)年春のシーズン。
 5月、不忍池競馬場。初日に1勝をあげ、三日目には接戦の末の同着があったが、その他の2戦では、岩川に遊ばれていた。そこで三日目のチャンピオン戦の挑戦をあきらめ、他のレースに確勝を期して臨んだが不覚をとってしまっていた。
 墨染は、競走馬としてのピークをこのシーズン前後に迎えていたが、そのときでさえ、土のコースでの甘さを克服できなかった。

 だが続く根岸の開催。芝に変わると、やはり圧倒的な強さを見せた。
 初日、二日目の3戦、ともにチャンピオンクラスの中国馬との対戦となったが、スピードにどの馬もついていけず、墨染は、いずれのレースも追う必要もないという大楽勝劇を演じた。

 二日目の4戦目が、今回の目標の外務省挑戦賞典。開催のメインレースで、墨染の連覇がかかっていた。
 外務卿井上馨の肝煎で、1883(明治16年)秋季に創設されたこの賞典は、2開催連続勝利が獲得の条件だった。着差はアタマ差であったが、ここを危なげなく制し、初代の賞典獲得馬となった。

 この日の根岸競馬場は、小松宮、伏見宮、伊藤博文、井上馨、大山巌、鍋島直大の各夫妻、英国、フランス、オランダ、ドイツ、イタリア、オーストリアの各公使が臨場、英国公使主催の昼食会も開かれるなど、屋外の社交場として華やかな雰囲気につつまれていた。外務省挑戦賞典の表彰式も、それを彩るものとして執り行われる。
 三日目の、日本馬のチャンピオン戦である三菱賞盃では、その開催で3勝をあげていた呼子という新鋭馬との対戦となるが、墨染の敵ではなかった。
 スタート2ハロンあたりから墨染がリードを奪い、そのまま楽勝する。

 墨染の活躍は、大河内正質(もしくは宮内省御厩課)にとって、誇らしいものであった。大河内は、クラブに100ドル相当のカップを寄贈し、クラブはそれを受けて、三日目の番外、特別レース、墨染賞盃 Sumizome Cup を実施する。

 1885(明治18年)秋のシーズン。
 これより前に、大河内正質が、宮内省から陸軍省にもどって軍馬局詰となっていため、墨染の名義は藤波言忠に移されていた。騎乗は引続き岡治善で、この藤波と岡のコンビは、墨染の引退まで代わらなかった。
 10月の不忍池の開催では、長雨が続いていた。墨染は重馬場も苦手で、ここでは、三日目の開催未勝利戦の1勝だけにとどまる。

 不忍池の三日目から、中一日で根岸の開催が行われる。墨染は、芝だと重馬場でも平気であった。
 この開催では、日本馬の単独レースは少なく、チャンピオン戦も中国馬との混合で行われた。陸軍省、農商務省が根岸の競馬から撤退し、出走馬が減少したことへの対応だった。
 かつては、日本馬は中国馬に敵わなかったが、墨染クラスになると、もはや問題ではなかった。3戦3勝、チャンピオンの座を難なく守った。
 振り返れば、墨染は、1884(明治17)年春からチャンピオン戦を4連覇。しかもその間、1884年春に1敗した後は、14連勝を飾っている。

 しかし、ここまでが、墨染の競走馬としてのピークだった。

 翌1886年春のシーズンは、墨染は調子を落としていた。
 4月の不忍池の開催では、2勝を加えていたが、それは英(ハナブサ)、岩川、2頭との対戦を避けてのものだった。
 得意の根岸でも、1戦しかできなかった。それでも三日目のチャンピオン戦を制したことは、さすがではあったが。

 本調子にはもどらないまま、秋のシーズンを迎えることになる。
 10月の根岸の開催。二日目の県庁賞典では英と対戦して、この強豪馬を破ってはいたが、三日目の、日本馬と中国馬の開催勝馬によるチャンピオン戦、その名も「勇将第一位占勝馬景物」では、かつては問題にしていなかった中国馬の3着になってしまい、根岸では5シーズンぶりの敗戦を喫する。
 この開催での走りは、明らかに、かつての墨染のものではなくなっていた。ここで素早く、引退が決断される。

 約1ヶ月後の不忍池の開催で、初日に行われる各国公使賞盃が、引退レースと決められた。英と岩川も登録していたが、墨染に花道を飾らすべく回避し、墨染の単走となる。

 1885(明治18)年秋から、墨染の名義人となった藤波言忠は、天皇の信任が厚い侍従として、この前後、明治憲法制定をめぐる場面を初めとして、色々な局面に顔を出していた。
 だが後世には、それよりも馬政・競馬の「功労者」として名を残している。

 藤波は、明治20年代以降、新冠御料牧場や下総御料牧場の充実拡大、馬産界の発展に尽くし、また日露戦争前後の馬政の中心人物として、馬券黙許の競馬開催の実現や馬匹改良30年計画の推進にも努めた。

 この藤波が、鹿鳴館時代の「名馬」として語り続けたのが墨染だった。その仔が競馬場に姿を現したという記録はないが、少なくとも明治期には、その名を記憶されていただけでも、他馬に比べて墨染は幸運だったかも知れない。


 生涯成績 39戦28勝(内根岸競馬場:20戦18勝)

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1883(明治16)年
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ニッポン・レース・クラブ(根岸競馬場)
11月6日
 第1レース Grriffins'Plate(jp) 5ハロン 賞金100ドル
       4頭立 1着   岡治善 1分19秒 2着 加治木
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共同競馬会社(戸山競馬場)
11月17日
 第4レース(jp)     賞金80円
       5頭立 3着以下     1着 三沢
11月18日
 第1レース 農商務省賞典(jp) 9町10間
       6頭立 着順不明     1着 加治木
 第4レース(jp) 11町
       7頭立 着順不明     1着 三沢

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1884(明治17)年
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共同競馬会社(戸山競馬場)
4月26日
 第7レース(jp)       賞金100円
       6頭立 1着   岡治善   2着 加治木
4月28日
 第3レース 宮内省賞典(jp) 金時計
       9頭立 1着   岡治善   2着 加治木
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ニッポン・レース・クラブ(根岸競馬場)
5月7日
 第5レース 陸軍省盃(jp)
       8頭立 1着   岡治善
5月8日
 第4レース(ap)
       7頭立 着順不明 岡治善   1着カタフェルト
5月9日
 第7レース(jp)
       4頭立 1着   岡治善
 第9レース        賞金125ドル
      12頭立 1着   岡治善
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共同競馬会社(不忍池競馬場)
11月1日
 第6レース 皇族下賜賞典(jp)
       5頭立 3着   岡治善 1着 岩川 2分17秒
11月2日
 第7レース 陸軍省下賜賞典及会社賞盃(jp)14町40間 賞金200円
       4頭立 1着   岡治善 2分18秒 
11月3日
 第3レース 三菱会社賞盃(jp) 14町40間 賞金300円
      10頭立 1着   岡治善   2着 ムーン
 第8レース チャンピオン戦(jp) 賞金250円
       5頭立 2着   岡治善   1着 岩川
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ニッポン・レース・クラブ(根岸競馬場)
11月11日
 第9レース 農商務省景物(jp)
       7頭立 1着 
11月12日
 第2レース 県令花瓶賞(jp) 1マイル
       6頭立 1着   岡治善
 第8レース 外務省挑戦賞典(jp) 3/4マイル
       3頭立 1着   岡治善
11月13日
 第7レース 三菱賞盃
       4頭立 1着 岡治善

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1885(明治18)年
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共同競馬会社(不忍池競馬場)
5月1日
 第4レース 三菱賞盃(jp) 14町40間 賞金100円
       3頭立 2着 岡治善  1着岩川 2分14秒
5月2日
 第3レース 華族有志者賞典(jp) 18町20間 賞金100円
       5頭立 2着 岡治善  1着岩川 2分57秒1/4
 第7レース 会社賞典(jp) 12町50間 賞金100円
      13頭立 1着 岡治善 1分57秒
5月3日
 第2レース 東京有志者賞盃(jp) 賞金200円
       9頭立 1着同着(岩川) 岡治善(林駒吉) 2分15秒
第8レース 春季ハンデカップ景物(jp)1周 賞金300円
       7頭立 2着 岡治善 1着 飛燕 2分5秒
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ニッポン・レース・クラブ(根岸競馬場)
5月13日
 第4レース 各国公使賞盃(ap) 3/4マイル 
       4頭立 1着 岡治善 1分39秒3/4 2着 サムライ
 第8レース 海軍及観客賞盃(ap) 1マイル1/4
       2頭立 1着 岡治善 2分50秒1/4 2着 サンライト
5月14日
 第5レース 重量負担景物(ap) 1周 各馬登録料と50ドル
       4頭立 1着 京田懐徳 2分19秒   2着 サムライ
 第8レース 外務省挑戦賞典(jp) 3/4マイル 賞金500ドル
       3頭立 1着 岡治善 1分36秒    2着 ムーンライト
5月15日
 第7レース 三菱賞盃(jp) 1周
       2頭立 1着 岡治善 2分15秒1/4 2着 呼子
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共同競馬会社(不忍池競馬場)
10月25日
 第2レース ハンデカップ景物(jp) 11町 賞金150円
       6頭立 2着 岡治善 1着 総角
10月26日 
 第1レース ハンデカップ景物(jp) 賞金120円
       4頭立 1着 岡治善    2着 北辰
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ニッポン・レース・クラブ(根岸競馬場)
10月28日
 第9レース 観客賞盃(ap) 
       4頭立 1着 岡治善
10月29日
 第7レース 重量負担景物(ap) 1マイル
       3頭立 1着 岡治善
10月31日
 第7レース 勇将景物(ap)
       4頭立 1着 岡治善

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1886(明治19)年
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共同競馬会社(不忍池競馬場)
4月23日
 第7レース(jp) 14町40間 賞金80円
      2頭立 1着 岡治善
4月25日
 第6レース(jp) 1周 賞金150円
      4頭立 1着 岡治善
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ニッポン・レース・クラブ(根岸競馬場)
5月28日
 第6レース 第一位占勝馬景物  賞金100ドル
      7頭立 1着 岡治善   2着 コルモラント
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ニッポン・レース・クラブ(根岸競馬場)
10月27日
 第2レース 県庁賞典(jp) 1周 県知事から花瓶
      2頭立 1着 岡治善 2分14秒 2着 英
10月28日
 第6レース 勇将第一位占勝馬景物(ap) 7ハロン
      6頭立 3着 岡治善 1着 サムライ 2分48秒
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共同競馬会社(不忍池競馬場)
11月20日
 第5レース 各国公使賞盃 16町30間 賞金150円
       単走 岡治善 2分46秒

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根岸競馬場1周:約1700m
不忍池競馬場1周:約1600m

11町   =3/4マイル
12町50間=7/8マイル
14町40間=1マイル
16町30間=1マイル1/4
18町20間=1マイル1/2

jp=japan pony(日本馬)
ap=japan pony &  china pony(中国馬)
着順の後の人名は騎手