第1章 快速馬スダホークの最後の戦い(3)

 ところで、話題のメリーナイスは出るのかな?
 あいつはね、あの騎手が嫌いなんだ。これは馬の仲間ではみんなが知っている話なんだ。
 メリーから直接聞いたわけではないけど、スプリング・ステークスも、皐月賞も、あの騎手の仕掛けが遅れたから負けたのだ、といっているらしいよ。だからダービーでは、自分の判断で動いて圧勝したのに、人によっては好騎乗だなんて書く輩もいてね。まあマスコミなんてものは、競馬に限らず、そんなものだから仕方ないだろう。
 でも、じつはメリーが最も頭にきているのは、ダービーの記念撮影のときにあの騎手が、こともあろうに自分の子供を抱いて写真を撮ったことなのだ。オレたちも見ていて、ずいぶん好い気なものだと思ったよ。だって、走って勝ったのはオレたちなんだよ。記念撮影だって、オレたちが主役なのだ。脇役であるべき騎手が、なんで赤ん坊を抱いて主役となり、ふんぞり返らなくてはいけないんだ。困ったもんだね。最近の若いものは。

 そのしっぺ返しが、九着と惨敗した菊花賞だったし、落馬してしまった有馬記念なんだよ。メリーに訊けば否定するだろうけど、あれは意図的につまづき、落馬させたとオレなどはにらんでいる。もっとも、脅かしたつもりで、落ちるとは思ってもいなかっただろうけどね。もし落馬しないで、イギリスあたりでときどき聞くように、片手を骨折したまま追ってでもいれば、メリーは感激して有馬記念も差し切ったんじゃないかな。そういう奴さ、メリーナイスという男は。

 この間の日経賞も、風邪で取り消したと聞いて、もういよいよメリーはだめだなと思ったよ。あいつ精神的にも参っているのではないかな。こうなったら、こじれた男女関係と同じで、一度精算すればいいんだ。
 皐月賞二着のゴールドシチーは、ダービーでは外をまわりすぎたことを理由に、秋になると騎手が乗り替わったし、サッカーボーイだって、弥生賞三着で交替だよ。どうしてメリーの騎手だけ替えないのか、不思議でならない。

 騎手なんてものは、鞭を片手に世界を飛び回るものなのに、中央競馬では外国人騎手を閉め出すだけでなく、同じ日本人だというのに、公営競馬の騎手にさえ門戸を閉ざしている。その結果、自由競争のない、じつに公正さを欠いたシステムになっていて、それで乗り替わるべき騎手が乗り替わらない。
 公正競馬、公正競馬と騒いだところで、システムそのものが閉鎖的で、公正さを欠いているのだから、どうしようもない。
 このままだとメリーは、師匠と喧嘩して相撲界から追放になった横綱双羽黒の二の舞だぞ。でもメリーだって、いつまでも子供じゃないんだから、騎手が嫌いだからといって、自分の戦績を汚すことはないのに。芦毛倶楽部のメンバーだったら、オレが意見してやるのだが。

 ゴールドシチーはどうかな。
 あの派手な栗毛の馬、あいつは要注意だ。同じレースで走ったことはないが、直線で追い込みを始めると、あいつのたてがみ、普段は金色のたてがみが、銀色に変わるそうだ。キラキラと反射して、光り輝いて追い込むのだそうだ。後ろにいるものは前方が見えにくくなるから、気をつけたほうがいいらしい。

 それ以外の馬なら、オレがいくら人気がないといっても、負けることはないだろう。
 メジロデュレン?
 あれは大丈夫。
 菊花賞を勝ったって?
 あれはフロック。
 有馬記念も勝ったって?
 あれもフロック。
 競馬の世界では、フロックは二度まで、といわれている。だから、「三度目の正直」といったときには、人間たちとは少し意味合いが違う。二度まではフロックで、三度勝ってようやく、本当に強いことが証明されるという意味だ。三冠馬に固執するのも、そのためなんだ。

 有馬記念二着のユーワジェームスも、問題にはならない。
 マスコミが、真の実力を見極めることなく、話題ができれば好いと思って、勝手に強い強いと吹聴しているだけさ。それでいて、負けると手のひらを返すように激しい非難を浴びせるけど、勝手なものだよな。もう慣れてしまったけど。
 ユーワジェームスなど、その典型で、考えてみるとあんまりじゃないか。そのせいか、上洛しないという噂も流れている。上洛したところで、モガミの子供たちは成長力に欠けるところがあるから、とてもオレの敵じゃないだろうけどね。

 むしろ波乱を起こすのなら、逃げ馬のダイナカーペンターだろう。
 父は「燃え上がる青春」フレーミングユースで、サラブレッドにしてみれば「燃え上がる青春」といえば、「四歳の春」をいうのだろう。穏やかな日差し、柔らかな風、緑深いターフ、人々の喚声、それぞれの夢。それが「四歳の春」、フレーミングユースなのだろう。
 オレのフレーミングユースは三年前のことで、今度の天皇賞の出走馬を見渡すと、ともに四歳の春を戦った馬たちは、もうだれもいなくなっている。
 ミホシンザンは引退してしまったし、シリウスシンボリの消息も聞こえてこない。この二頭にはオレはついに勝てず、そしてこの二頭はついに、一度も対戦することはなかった。
 サクラのユタカオーは、もっと早くに競馬場から姿を消している。あの馬には菊花賞と天皇賞で先着しただけで、ほかでは負け続けた。なにしろ、速い馬だった。
 クシロキングもいない。勝ったり負けたりしていたが、五歳の春の天皇賞で、痛恨の敗北を喫してしまった。
 サクラのサニーオーも、すでに種牡馬になっている。オレのほうが少しは分が良かったが、どちらも大きなレースはとれなかった。
 それに、中山の直線で若くして逝ってしまったサザンフィーバー。あの馬には新馬戦で、十馬身も差をつけられて負けてしまった。無事だったらクラシックでも活躍し、重賞もいくつか勝ったことだろうに。
 いつのまにかオレたちの世代も、確実に終わりを迎えようとしている。ダイナカーペンターは、そんなことを思い出させる馬なのだろう。

 だからもし、カーペンターが口笛でも吹きながら逃げたなら、そしてもし、その曲が「イエスタデイ・ワンスモア」だったなら、逃げ切ることだって夢ではない。純生芦毛のシービークロスはもちろん、三度目の正直を狙うメジロデュレンも、「駄々っ子」メリーナイスも、「蘇る金髪」ゴールドシチーも、みんながみんな、その口笛に聞き惚れながら、四歳の春の、それぞれの夢や希望を思い出し、気がついたときにはゴールの直前だったということだってあり得るのだ。それがダイナカーペンターの逃げ切りパターンだからね。

 でもね、「イエスタデイ・ワンスモア」に聞き惚れることは、オレに限ってはないよ。何といっても今度の天皇賞は、競走馬スダホークの最後の戦いになるだろうからね。それにコースは、淀の坂越えの三千二百メートルだよ。淀の天皇賞にセンチメンタルソングは似合わないのさ

                            (続く)