第2章 ドンキホーテとウインドミル(3)

1989 年10月29日 東京10R 天皇賞(秋) 2000m
  馬番
   1 カイラスアモン   牡6 58 竹原啓二
   2 レジェンドテイオー 牡7 58 郷原洋行
   3 ミスターシクレノン 牡5 58 松永幹夫
   4 オグリキャップ   牡5 58 南井克己
   5 メジロアルダン   牡5 58 岡部幸雄
   6 キリパワー     牡5 58 大塚栄三郎
   7 イナリワン     牡6 58 柴田政人
   8 ランニングパワー  牡7 58 菅原泰夫
   9 ディクターランド  牡5 58 菅谷正己
  10 ウインドミル    牡5 58 蛯沢誠治
  11 ヤエノムテキ    牡5 58 西浦勝一
  12 フレッシュボイス  牡7 58 田原成貴
  13 ダイゴウシュール  牡5 58 大崎昭一
  14 スーパークリーク  牡5 58 武 豊

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(四)府中の三千二百の天皇賞論者

 歯舞、色丹、国後、択捉の北方四島を、ロシアに奪われてはや四十四年。何年経とうとも我々は、わが国の固有の領土の返還を主張することを忘れてはならない。
 同じように府中の天皇賞が、二千メートルに変更されてわずか六年しか経っていないのに、情けないことに、もうだれも口にしようとはしない。
 いいか、忘れてはならないのじゃ。みてみろクモハタ記念のことを。あの由緒ある記念レースも、いまではレコードブックに名を残すばかりで、だれも主張しようとしないので、復活する兆しもない。
 そのかわりに新設された重賞レースといえば、ペガサス・ステークスだとか、セントウル・ステークスだとか、冗談じゃないよ。クモハタの名前のほうが、どれほど響きもよく、伝統もあることか。

 この国は、自国の文化を大切にしないことで有名だが、本当は我々一般の大衆はそうではないのだ。大事にしたくても、官僚どもが大事にしないのだ。
 今年の夏などは、函館競馬場で札幌三歳ステークスをやったのには驚いたね。
 開いた口がふさがらなくなり、病院にいってようやく閉じてもらったぐらいだよ。迷惑な話だ。レースの名前など、どうでも良いと考えているんだよ。奴らは。

 もうこうなったら、「拝啓JRA理事長殿」などという公開質問状など出さずに、いっそJRA民営化の運動でもやったほうがいい。
 そうすれば同じ日本なのに、中央競馬と公営競馬の垣根などという愚かなものは、すぐに消えてしまうだろう。
 そうすれば道川騎手も、シンガポールにいくこともなかっただろうし、地方競馬の雄、フェートノーザンの晴れ姿を府中で見ることもできただろう。「川崎のヒロイン」ロジータと「桜花賞馬」シャダイカグラの対決など、考えただけでもゾクゾクする。
 そういえば昔、四歳のマルゼンスキーと五歳のトウショウボーイが、札幌の短距離で対戦しそうになってゾクゾクし、風邪を引いてしまったことがあった。結局トウショウボーイが回避してしまったが、JRAが民営化されれば、あのときの気分をもう一度味わうことだってできるのだ。
 なにしろ官僚たちの競馬は、ファンに見せたい競馬であり、民営の競馬は、ファンが見たい競馬なのだから。

 府中の天皇賞は三千二百メートルに戻すべきだ。ワシはそう思っとる。
 天皇賞は現在、ジャパンカップに出走する古馬の選考レースになっているが、十月末の馬場の良い二千メートルと、十一月末の使い込まれた馬場での二千四百メートルでは、あまりにも世界が違いすぎる。
 秋の天皇賞馬でジャパンカップでも連対したのは、これまではタマモクロスしかいないが、彼だってじつは、春の三千二百メートルの天皇賞を勝っているのだ。
 秋の天皇賞はスピードタイプでも勝てるが、ジャパンカップはそうではなく、春の天皇賞でも勝ち負けできるようなスタミナがないと通用しないということなのだ。だからジャパンカップの前には、スピードではなく、スタミナを問うようなレースが必要なのだ。

 三千メートルぐらいのG1レースといえば、天皇賞しかないじゃないか。二千
メートルのG1レースがどうしてもいるというのなら、それには別な名前、そう
じゃな。交差点でプロポーズしたという宮様の名前でもいただいて、秋篠宮記念
とでもして、天皇賞は天皇賞で、やはり三千二百メートルに戻すべきなのだ。
 もちろん、すぐには実現しないだろうから、北方領土と同じように忘れないよ
うに主張し続けなければならないだろう。

 その間はせめて、想像力を働かせるのじゃ。
 考えてみろ、今年の天皇賞が三千二百メートルだったなら、どうなるかを。
 それでもやはり、三強の争いかもしれない。しかしその三強とは、オグリキャップ、イナリワン、メジロアルダンの三強ではなく、イナリワン、スーパークリーク、アエロプラーヌの三強だ。
 とくにアエロプラーヌは、父がマルゼンスキー、母はセントクレスピンの娘ロマンギャルで、昨年の十一月には大井の東京王冠賞を勝ち、暮れの東京大賞典でも一番人気に推されたほどの馬だ。
 春の帝王賞で三着と敗れたのちは、笠松で千四百メートルのダートを走ったり、中京の千八百メートルでリキアイノーザンにハナをたたかれて惨敗したりと、おかしなレースばかりを選んで走っている。
 かなうならば芝の長距離を、ゆっくりと走らせてみたいものだ。逃げるアエロプラーヌに四コーナーでスーパークリークが並びかけ、イナリワンがゴム鞠のように弾みながら追い込んでくる。本当にゾクゾクして、またまた風邪を引きかねない。

 でもなあ、ワシもそんなに長くはないだろうが、生きている限りはいい続けるぞ。秋の天皇賞を三千二百メートルにしようってな。東欧諸国では共産党の一党支配がなくなる時代なのだから、もしかしたら、ということだってある。
 まあ、今年の天皇賞は、せめてジャパンカップでも通用するような馬に勝ってもらいたいな。なにしろ凱旋門賞の上位組が出走するというのだから。ワシか、ワシはイナリワンだと思っとるんだけどな。


(五)芦毛倶楽部代表ホクトヘリオス

 よくいわれますが、なぜか昨年は世界的に芦毛が活躍した年で、ケンタッキー・ダービーのウイニングカラーズ、イタリア・ダービーのティサーランド、東京ダービーのウインドミルなど、世界の各地でクラシック馬が出ました。
 しかし圧巻だったのは、秋の一連のG1レースにおけるタマモクロスとオグリキャップの戦いで、芦毛倶楽部一同、誇らしい気持ちでその名勝負を見守っていました。
 もちろんこれもひとえに、芦毛をこよなく愛し、応援してくださったファンの皆様の声援のたまものであると深く感謝する次第であります。

 今年も当倶楽部の成績は順調で、ケンドールがフランス二千ギニーに優勝すると、国内ではウイナーズサークルが日本ダービーを制し、秋にはそのウイナーズサークルとオグリキャップを擁して、天皇賞、菊花賞、ジャパンカップ、有馬記念をすべて勝ち、全国の芦毛ファンの期待に応えたいと考えております。

 オグリキャップの強さの秘訣としては、ひとつには二代父ネイティヴダンサーの影響があげられるのではないでしょうか。
 ネイティヴダンサーはご存知のとおり、二十二戦二十一勝、唯一の敗戦がケンタッキー・ダービーの二着という、考えようによっては悲運の名馬ですが、そのラインの活躍は目覚ましく、最近でもアリシーバやイージーゴアなど歴史的な名馬が目白押しです。
 しかも彼の遺伝的な特徴としては、一世代おいて素晴らしい馬を出すことで、「世紀の名馬」シーバード、「二十世紀のセントサイモン」ノーザンダンサー、「悲劇の名牝」ラフィアン、「三冠すべて二着」のアリダー、クリスとダイイシスの父シャーペンアップ、「ポスト・ノーザンダンサー」ミスタープロスペクターなど、すべてネイティヴダンサーの孫の世代にあたっています。
 おそらくオグリキャップも、これらの名馬と同じように、二代父からその高い能力を一世代飛び越えて受け継いだのでしょう。

 オグリキャップの強さの秘訣としてはもうひとつ、父と母がともに芦毛の、いわゆる純正芦毛で生まれたことにも注目する必要があります。
 彼らは数がきわめて少ないために、その生態はあまり明らかにはなっておりませんが、ただなんらかのマジックを使うといわれていて、前代表のスダホークなども、タマモクロスの父シービークロスのマジックを解明しております。
 オグリマジックについても、現在のところ鋭意調査中ですので、やがて皆さんにお知らせすることができるものと思っております。

 今回の天皇賞は、秋のG1シリーズの中では、距離からいってもローテーションからいっても、オグリキャップが最も勝つチャンスの高いレースだといえるでしょう。
 ただ彼がこれまで負けたのは、タマモクロスとマーチトウショウの二頭しかいませんが、どちらも芦毛倶楽部の馬で、もし上手の手から水か漏れるとしますならば、その相手はやはり、ウインドミルなどの当倶楽部の馬のような気がしてなりません。

 ともかく、芦毛倶楽部の馬ばかりでなく、全出走予定馬が無事にゴールインして、第百回の記念の天皇賞を、素晴らしいレースとしていただきたい、と思っております。
 最後にどうぞ、競馬場にいらっしゃるファンの皆さん、テレビの前のファンの皆さん、直線に入ったらくれぐれも、「オグリ」などと冠名ではなく、きちんと「オグリキャップ」とフルネームで声援を送っていただけますよう、芦毛倶楽部を代表してお願い申しあげます。


(六)翻訳者のつぶやき

 勝つのはウインドミル、と私は思っています。根拠はほとんどありません。毎日王冠でのウインドミルの単勝は九十五倍、天皇賞も二十倍以上にはなりそうで、そんな単勝を買うのは、まるでウインドミルを不埒な巨人と間違えたドン・キホーテみたいなものさ、といわれても仕方がありません。
 たしかに、勝つのはウインドミルだといえば、私の中のサンチョ・パンサでさえ、こういうに違いありません

「見なせい旦那さま。あそこに見えるのは、あれは巨人じゃねでがすぞ、ただの風車(ウインドミル)で、あいつらの腕と見えるのは翼で、これが風に回されて、石臼を動かしているんでさあ」                      
                     (『ドン・キホーテ』会田由訳)

 私の中のドン・キホーテは、これに対して反論します

「薄弱ながらも、あれが巨人であるという根拠は存在するのだ。
 その一。ウインドミルは毎日王冠が初コースにもかかわらず、勝ったオグリキャップとの着差は〇・三秒しかなく、次は縮まると考えられる。
 その二。今回の天皇賞における最大の惑星は、毎日王冠で三着に入ったメジロアルダンだが、トライアルでは先を行くウインドミルに少し早めに並びかけ、そのために末脚が鈍ったと考えているので、本番では仕掛けをもっと遅らせ、その分だけ先を行くウインドミルが逃げ切るチャンスが生まれる。
 その三。有力視されているスーパークリークには、コースと距離に不安がある。阪神でも京都でも中山でもこの馬は、そのコースをはじめて走るときには負けているし、距離の二千メートルは、いかにも短すぎる」

 しかし、サンチョ・パンサも負けてはいない。

「何をおっしゃいますか、旦那さま。オグリキャップは絶好調ですし、イナリワンは前走以上の能力を発揮するでしょう。
 それに大井でイナリワンは、アラナスモンタを相手に勝ったり負けたりしていましたが、ウインドミルは現実に、その馬から十一馬身も離されているではありませんか。
 またメジロアルダンにしても、ジョッキーは日本一ですので、むざむざウインドミルの逃げ切りを許すとは考えられませんし、スーパークリークだって先日のレースを見ていると、成長は著しく、初コースがどうのと、そんな柔なことは申すわけはありません。
 ウインドミルはせいぜい、掲示板に表示されれば健闘の部類で、勝つなどということは、とうてい考えられません」

 かくして、ドン・キホーテとサンチョ・パンサは、交互に語りかけます。キヨスクでインクの匂いがしている競馬新聞を求めたときなど、「あれは巨人だ」とドン・キホーテが叫べば、「間違いなく、ただのウインドミルであって、巨人ではありません」と、サンチョ・パンサは応じるのです。
 そのやり取りは限りなく、結局は馬券を手にするまで、いやいや、買ったあとでもファンファーレが鳴り響くまで、繰り返し続くのです。

 セルバンテスの物語では結局、ドン・キホーテはウインドミルに立ち向かいますが、驢馬のロシナンテから落馬して、身動きができないほど強く地面にたたきつけられます。そのときサンチョ・パンサは、次のように諭すのです。

「やれやれ、ご自分のなさることにようく気をつけなせえと、旦那さまにあれほどわしが言わなかったかね。あれはただのウインドミルだと」
                             (同前)
 これに対してドン・キホーテは、こう答えます。

「黙れ、サンチョ」

 考えてみれば私たちは、いつも馬券を買う最後の瞬間に、自分の心の中に棲むサンチョ・パンサに対して「黙れ、サンチョ」といっているのかもしれません。
 いやいやそれは、馬券を買うときだけに限らないのではないかと、私には思えてならないのです。

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<編集人の注釈>
 1989年秋の天皇賞のレース結果は次の通りです。

着順
 1 スーパークリーク  牡5 58 武 豊
 2 オグリキャップ   牡5 58 南井克己
 3 メジロアルダン   牡5 58 岡部幸雄
 4 ヤエノムテキ    牡5 58 西浦勝一
 5 キリパワー     牡5 58 大塚栄三郎
 6 イナリワン     牡6 58 柴田政人
 7 ダイゴウシュール  牡5 58 大崎昭一
 8 ランニングパワー  牡7 58 菅原泰夫
 9 ミスターシクレノン 牡5 58 松永幹夫
10 ウインドミル    牡5 58 蛯沢誠治
11 フレッシュボイス  牡7 58 田原成貴
12 カイラスアモン   牡6 58 竹原啓二
13 レジェンドテイオー 牡7 58 郷原洋行
14 ディクターランド  牡5 58 菅谷正己