ノートの6:競馬百話(16)
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--------------------------------------------------------- (31)ドル下落の影響をうけたアメリカのサラブレッド市場 --------------------------------------------------------- 昨年(1972年)までは、アメリカがドルの偉力に物をいわせて、ヨーロッパで高馬を買いまくっていたが、ドルの下落とともに、アメリカのサラブレッド市場は、ドルに比べその通貨の強い国からねらわれて、アメリカのバイヤーたちは、これらの外国のバイヤーと対抗して、自分たちの希望する馬を買うことは、だんだんとむずかしくなった。 そしてまたこれと同時に、アメリカの馬が、ヨーロッパで盛んに活躍しだしたために、アメリカのサラブレッド市場は、これらの外国の購買者によって、大きくあらされることになった。 この結果、1972年には、アメリカ産馬の外国人による購買額は、従来のレコードを破った。そして1873年には、この傾向はさらに拍車をかけられるだろうと期待されている。 たとえば、昨年には、キーンランドのセリで、11の外国からのバイヤーによって、645頭に対し、877万5400ドルという今までのレコードの金額が支払われた。これは、金額的には、このキーンランドのセリ会社のあつかった総金額の24%にあたり、頭数では19%になる。この金額は、それまでのレコードであった1971年のキーンランドで外国人の購買した金額468万2000ドルのほほ2倍になっている。この内訳をみると、日本人のバイヤーが、180万1200ドルで最高の額を示し、ついで英国が180万200ドル、フランス166万1700ドル、カナダ113万400ドルとなっている。 カナダは頭数では、最高の152頭、その他の国で100頭以上買ったのは、プエルト・リコの134頭、ヴュネゼラ106頭である。 特に注目すべきことは、公開のセリに出た上位の馬に対し、外国の購買者がはげしくせり合ったことである。 たとえば、1972年にアメリカで売られた明け二歳馬の高馬の半分は外国に行ったし、同様にもっとも高価な競走馬の10%、ひじょうに高価な繁殖牝馬の20%、当歳の高馬の30%は外国に買われていった。 1972年の最高の明け二歳馬は、父ラウンドテーブル、母は1967、8年の牝馬のチャンピオンであるゲームリイの牡駒で、BBAのアイルランド支店によって24万ドル(約6240万円)で、明け三歳の牝馬デブス(父バックパサー、母バトウールその父ボールドルーラ)は、日本人のバイヤーが13万5000ドル(約2500万円)で買った。 また1965年の明け四歳牝馬のチャンピオン、ホワットアトリート(ヴュグリーンノーブルを受胎)は、繁殖牝馬のレコード価格の45万ドルで、フランスに売られていった。 (昭和48年9月26日)
(昭和48年9月27日) |