---------------------------------------
(67)なにを目標に競馬番組をつくるか
---------------------------------------
これは本当の話だが、わたしが昔、競馬会にいて競馬番組を作っていたときは、これによって軽種の生産かどうなっていくか等は、全然考慮されていなかった。
うそのようだが、まったく本当の話で、当時は競走馬資源の不足している時代であったから、なんとかして各レースとも8頭、すくなくとも6頭の出走馬を確保するような番組を作ることが、至上命令としてなによりも優先的に要求されていたからである。
競走馬がありあまるほどいて、競馬場の厩舎はパンクせんばかりになっている現在、競馬番組を作っている人たちは、なにを目標に競馬番組を作っているのだろうか、と考えたことがある。未出走・未勝利のレースに混の印がつけられているのを見たときなどに。
ここで、ちょっと戦前は、どうだったかを考えてみよう。
わたしの手元に、三十頁ばかりのうすいパンフレットがある。表紙の右肩に、
「昭和15年11月9日、於東京競馬場会員懇話会講演
農学博士 松葉重雄
競走馬の四肢の故障について
日本競馬会企画課長 佐藤繁信
軽種馬生産の問題と番組編成の一部門について」
とあって、社団法人東京振興会(今でいう馬主協会)が出版したものである。
ここで関係のあるのは、佐藤繁信さん(数年前になくなられた)の講演の方だが、この初めのところをすこし引用してみよう。
「競馬はなんのために施行するかという点から申しますと、内地第二次馬政計画でハッキリ致しましたように、軽種馬の種馬の選択取得になるわけでありますが、ここでこの目的を達成するために一番問題になるのは、競馬の方法により奨励し、能力を検定するところのこの種の馬の生産を維持確立することが、もっとも緊要事だということでありまして、この点から申せば、競馬は種馬の選択ではありますが、結局軽種は競馬以外には販路がないから、競馬は軽種の能力の鍛錬淘汰であると同時に、軽種生産を維持する意味において、その軽種の販路であると考えなければならないのであります。」
佐藤繁信さんは、こう前おきにして、競馬番組は軽種の生産という観点から編成すべきであることを理路整然と説明している。もちろん、この説明の根底には、軍馬の確保ということがあるのだから、軍馬がその存在意義を失った現在では、この番組理論が、そのまま通用しないことは、いうまでもない。
軍馬という目標を失った現在の競馬は、どういう目的を持っているのだろうか、目的がはっきりしなければ、競馬番組の目標がはっきりしないのは当然である。
-------------------------------------------
(68)続 なにを目標に競馬番組をつくるか
-------------------------------------------
そこで戦後の競馬は、なにを目的にしているのか、ということが問題になる。
軍馬という目的を失った戦後の競馬は、競馬法に競馬の目的をはっきりさせないままで今回まできたが、おそらく競馬の主催者の頭のなかにほ、こんな考えがあったのではないだろうか。
競馬は国民のレクリエーションであって、健全娯楽として必要なものである。つまり、競馬の目的は、国民に健全娯楽をあたえることにあるという考えである。
だが、それではなにも農林省が監督する必要もないわけだが、日本中央競馬会法の第一条には、日本中央競馬会というものは競馬の健全な発展を図って馬の改良増殖その他畜産の振興に寄与するため、競馬法により競馬を行なう団体として設立されたものであることが規定されている。
これは、この通り読めば競馬の目的ではなく、日本中央競馬会の目的のような書き方だが、前段の「競馬の健全な発展を図って」というのを「国民に健全な娯楽を与え」とでもなおせば、現在の競馬の目的を大体言いあらわしていることになるのではあるまいか。「馬の改良増殖」でいう馬は、軍馬がなくなった今日では、もっっばら競走馬そのものということになるであろう。
だから簡単にいえば、競馬番組は、競馬ファンに楽しい競馬を見せることと、馬の改良増殖、つまり軽種の生産を発展させることを目的につくられなければならないということである。
このうち初めの方の、つまりショウとしての競馬ということに対する番組上の配慮は、さして難しいことではない。ことに競走馬は増えているし、賞金は潤沢につかえる現在ではなおさらそうである。
簡単にいえば、賞金をうんと出せば、良い馬があつまるということである。
わたしが、番組をやっていた時も、この点は十分考慮されていた。だが、第二の軽種の生産に対する配慮は、従来とかく軽視あるいは無視されてきた。
馬産というものが、国の行政上からはっきり位置づけられなくなった戦後(現在はこの努力がなされようとしているが)は、競馬番組というものが、軽種生産に対する唯一の指針であるといってよい。つまり競馬のやり方次第で、軽種の生産は、どうにでもなるということである。
このことを番組の作製者は、肝に銘じておく必要がある。こういう番組を作ったら、軽種の生産はどうなるだろうかということを、たえず考えていなくてはならない。だから、こと生産に関係してくる番組上の改革は、それ以降に配合が決定されて、その配合により生まれた馬から適用するという配慮が必要である。
---------------------------------------------
(69)続々 なにを目標に競馬番組をつくるか
---------------------------------------------
競馬番組というものは、軽種の生産について、その目標をあたえるものであるから、安易にその番組の方針は変更されてはならない。
なぜかというと、生産者は、ある一定の競馬番組の方針の下に、自分の繁殖牝馬に対し、この方針を当然考慮に入れたうえで、種牡馬の配合を行なう。このことの意味することは、この配合によって生まれた産駒は、競走馬としての一生を、生産者がこの配合を決定したときと同じ番組方針の下に、すごしうるという前提の下に生産を行なっているということである。
そして、種付してから競馬に出るまでは、ほぼ3年かかり、競走馬の出走する期間を、3年とみれば、番組上の重要な変更は、発表してから6年たって行なう位の配慮が必要であるということができる。
さて、番組作製上、生産関係を重視すべきことは以上のとおりだが、ではこのうちでなにに重点をおくべきたろうか。
国内の軽種の生産を成り立たせるということが第一である。これが、競馬のはたすべき、前述した二大使命のうちの一つである。もう一つは、競馬の持つ能力検定という機能を軽種生産の上において生かすということである。
国内の生産を維持するということから、現在も外国産の競走馬に対する関税措置、出走制限が行なわれているわけであるが、400万円の関税は現在でも一年間ずつ定められており、当分の間はこれを継続していくことは必要だが、いつかは廃止されるべきものだと考えられるから、大部分の競走は、内国産馬に対してのみ開放されることは、当然のことである。
わが国産の競走馬で、競馬の需要を満たして、なお余りがあるのに、外国産の競走馬は、内国産馬との能力の比較上、きわめて優秀な小数のものがあれば十分である。したがって、これら外国産の競走馬に対しては、番組上特に保護する政策は、全然必要としない。
競馬の能力検定の機能を有効に働かせるためには、わが国の競馬で能力をテストされた優秀な牝牡馬は、種馬として有効に活用させるよう競馬番組上の措置をとることが肝要である。
それから、これはあまりにも当然のことであるので、今まで全然ふれなかったが、競馬番組というものは、レースが公正に行なわれるような仕組みになっていなければならない。
一例をあげるならば、2着になった方が、1着になるより、なにかと得になるといったようなことがあってはならないことはいうまでもないことである。
|