ノートの6・競馬雑録(10)

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 サラレコの Horse Sent Abroad
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 アメリカの競馬雑誌「サラブレッド・レコード」が、アメリカで最古の競馬雑誌であることを知っている人は多いかもしれないが、この雑誌が、数年前からアメリカのジョッキー・クラブの機関誌をもかねて、この雑誌のおわりの方に、ザ・レーシング・カレンダーという欄があって、馬名の登録や変更等が掲示されていることは、気がつかない人も多いと思う。

 この外に Horse Sent Abroad (外国にいった馬)という欄があって、その馬の馬名、毛色、性、父母、輸出された国名が記載されている。
 6月9日号(1973年)から、この外国にいった馬を調べてみると、次のようになっている。ただし、この記事だけでは、いつからいつまでに輸出されたのかははっきりしない。もちろん、この雑誌の一年分をまとめれば、一年間に輸出された頭数ということが、はっきりするわけだが。

 頭数の多い順にあげると、フランス(39頭)、英国(37頭)、アイルランド(22頭)、ヴュネゼラ(19頭)、フィリピン(4頭)、ジャマイカ(2頭)、日本(1頭)、コスタリカ(1頭)、南アフリカ(1頭)となっている。

 ヨーロッパの一流生産国が、アメリカからさかんにサラブレッドを輸入している一端が、これでもうかがえると思う。


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 海外へ行く前に
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 ちか頃といっても、もう十年位前からだろうか、競馬の関係者も、さかんに外国にいくようになってきた。広く実地に外国の競馬や生産者の状況を見てくることは、誠にけっこうなことだが、帰ってきて、新聞や雑誌に寄稿したものとか、報告書のたぐいを拝見すると、たいていは誠におそまつという一言につきるといってよい。

 なぜだろうか。いや、その理由は、はっきりしているのだ。十分な予備知識をもたないで、外国に行って競馬を見たって、目で見たことしか分らないからだ。どんな組織で競馬をやっているか等は、競走を見ただけでは分りっこないからだ。

 外国に行って、競馬やサラブレッド生産のことを見てこようという人は、行く前に日本で手に入る資料で、十分に勉強していかなくてはだめだ。外国に行かなくても、外国の競馬のことは、それらの資料で、8割位はわかるものだ。あとの2割は、実地にそこに行って、競馬を見て分るということである。だから、なんの予備知識もなくて、外国に出かけて行っても、せいぜい2、3割のことしか分らないで帰ってくることになるのだ。

 先日も、あるスポーツ新聞に、英国競馬の視察記がのっていた。しょっぱなに「英国には競馬のシーズン・オフはない」などと書いてあったが、これなども現地に行って競馬を見ただけでは分らないから、しかたないが、英国の平地競走のシーズンは、3月の第3週中に始まり、11月の第2週中でおわるくらいは、知っていてはしいものだ。

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 血統論議で気になること
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 ちか頃は、スポーツ紙や競馬専門紙などでも、競走馬の血統のことが、なかなか活発にとりあげられるようになったことは、誠にけっこうなことだと思う。
 だが、それらの記事のうちで、二、三気になることがある。

 よくAという馬は、血統的にはBの兄弟馬などという書き方をする人がいるが、この「血統的には」は余計である。血統的には兄弟馬だが、なになに的には兄弟でないなどというのなら別だが。

  またたとえばリボーの直仔などという表現をするが、これもいかにもおかしい。「直」は不必要だ。仔だけで十分である。英語でも直仔にあたる言葉はない。直系という言葉は、英語にもあるが。

 この場合には、リボーの仔であることを強調したいので、直という字をつけたのだろうが、これは余計なことだ。なんだか、リボーに本妻の子と妾の子とあるような言いまわしで、いかにもおかしい。こんな表現を使うのは、日本だけであろう。

 それから、もう一つ気になるのは、血統を論ずるときに、父系のことばかりいって、まるで馬が単性生殖で生まれたような議論ばかりしていることだ。父馬が短距離だから、生まれた馬は短距離馬などという説明は、いかに説得力がないかを知ってほしい。

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 セクレタリアトの生産牧場
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 25年ぶりに出たアメリカの三冠馬セクレタリアトの生まれた牧場は、どんなところだろうか。サラブレッド・レコード誌(1973年6月16日号)に掲載になったチェット・ヘーガンの記事によって、簡単に紹介してみよう。

 牧場の広さは、2600エーカーから2700エーカーである。見物人が多く行くような牧場ではなく、完全に機能的な、実際的な牧場である。もちろん、施設はすぐれている。一マイルの調教馬場、トレーニング・センターに38馬房、よそから来る牝馬のために66馬房、この牧場の繁殖馬に対し64馬房。
 この牧場で働いている人は、全部で38人。

 この牧場のすぐれた点は、そのすばらしい繁殖牝馬群にある。だが、頭数はけっして多くない。今年の頭数は、わずか22頭である。これらは、アメリカで最高の素質を持った繁殖牝馬群であろう。

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 毎日新聞の誤訳
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 8月4日(1973年)にアメリカのサラトガ競馬場で行なわれたホイットニイ・ステークスで、セクレタリアトは五歳馬のオニオンに敗れ、今季8戦2敗、昨年の三歳時は9戦7勝だった。

 ところで、この記事を報じたある毎日新聞に、このオニオン号のことを、ホポープアームズ・オニオンと紹介してある。こういう表現は、わが国ではやらないが、あちらではふつうのことで、これはホボー牧場のオニオンということで、馬主がホボー牧場であることを示すのである。全部ひっくるめて馬名にしてしまっては困る。

 わたしは、今までもなん回も指摘してきたのだが、毎日のような大新聞社でも、英語の競馬の記事を読みこなせる人がいないか、あるいは競馬の翻訳記事は、競馬の担当記者が事前に目を通していないことを、このことは示すものではないだろうか。

 新聞の記事は、早いことよりも、正確であってはしいものである。

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 藤原英司氏の訳への疑問
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 わたしは、今までに競馬やサラブレッド生産に関する本をなん冊か翻訳した。だが、やればやるだけ翻訳はむずかしいものだということを感ずる。
 わたしは、競馬やサラブレッド生産のことは、いわば専門分野であるから、その分野の特殊用語に出会っても、たいていは驚かないが、専門的な知識のない人たちにとっては、相当難解だろうと思う言葉に、たくさん出会う。
 だから、わたしは自分の専門分野でもないものを翻訳している人の気がしれないのである。正確な訳ができるはずはないからだ。

 わたしは、前にも書いたことがあるが、いろいろな動物文学等の翻訳をしている藤原英司氏の訳業は高く評価している。翻訳が正確で、かつ翻訳臭がないからだ。 最近(昭和47年11月)に、この藤原さんが、「罪なき殺し屋たち」という、H・バン・ラービックとJ・グドールの本を翻訳して出した。
 アフリカ草原に住む三種類の肉食動物、リカオン、キンイロジャッカルおよびプチハイエナのことを書いたものだが、すばらしく面白い。
 だが、この本の84頁に
「とうとう雌馬と子馬、それに一歳馬が一頭、群れからきり離されて……」
 とあるのが、気になった。

 というのは、子馬というのは、たぶん foal を、一歳馬といぅのは yearing を訳したものと思えるから、そうだとすると、それぞれ当歳馬、二歳馬と訳すのが、適当だからだ。
 わが国の馬の世界の習慣では、子馬と一歳馬は同じことなのである。

 もちろん、これは誤訳とはいえないが、翻訳というものが、いかにむずかしいかということを示す例でもある。藤原氏が、馬の専門家であったなら、けっしてこんな訳し方はしなかったであろう。

 このことは、つまり日本の馬の世界では、年齢は欧米とちがい数え年でいう習慣になっていることを知っていないということになるのである。でないと日本のダービーは、四歳馬が走るが、欧米のダービーは、三歳馬が走るのかということになる。

                    (昭和48年8月7日)