もきち倶楽部・発刊に際して
山本一生

 

「今までにかってないほど競馬が盛んになったのに、このような本が、わずか二百冊ぐらいしか売れないとは、なんだか淋しい気がします。競馬が盛んになったといっても、しょせんそれは馬券熱が高まったことであって、むしろ戦前のほうが、競馬ファンのなかに、馬そのものに関心を持った人が多かったような気がします」
(佐藤正人著『わたしの競馬研究ノートの4』「あとがき」) 

 新橋にあった中央競馬会の広報センターまで出かけて行って、人気のない部屋で、昔のレースを調べていたときのことだった。
 ハイセイコーがブームになったころだから、二十五年ぐらい前のことになる。

 ひととおり調べ終わり、書籍を棚に戻していると、その本が視野に入り、自然に手が伸びる。パラパラとめくって、いつものように「あとがき」を開くと、その言葉が飛び込んできた。

 なぜか、ふっと、目頭が熱くなった。何に対してかわからないものの、徒手空拳ながらも孤軍奮闘している姿が、その「あとがき」からうかがえたからである。

あわてて表紙を見ると、佐藤正人著『わたしの競馬研究ノートの4』とあった。お世辞にも立派とはいいがたい装幀から、競馬書というよりも同人誌の特集号のような雰囲気が漂っている。ただし、収められている内容は濃密だった。

 血統に関する外国文献の翻訳や世界各国の競馬の解説、競馬史の研究論文、わが国の競馬の文化についての批評など、当時としてはなかなか知り得ない事柄が、そこには並んでいた。知り得ないというよりも、まったく異なる次元の競馬が広がっていた。佐藤正人という名の、競馬の世界だった。いつのまにか私は、そのシリーズを読みふけっていた。

 たぶん競馬というものが、とうてい目には見えない、暗闇のなかに漂う不可思議な世界だと思うようになったのは、そのときからかもしれない。そしてその闇の中で、佐藤正人の数多くの著作は、まさに夜空に浮かぶ巨大な飛行船を照らし出すサーチライトのように飛び交い、様々な角度から「競馬の世界」を浮かび上がらせる。競馬というものが、動物と人間が長らくかかわってきたがゆえに、あるときは歴史であり、あるときは文学であり、あるときは科学であり、いうなれば世界そのものであることを、彼の著作から知るようになる。

 神楽坂愛馬の會を足場として、メール・マガジン「もきち倶楽部」を発刊しようと考えたとき、なぜか二十五年前の光景がよみがえってきた。
 おそらく、メール・マガジンのコンセプトとして、「文化としての競馬」を標榜したからだろう。いやしくも我が国において、競馬の文化を口にするときには、だれもが最初に、佐藤正人に触れざるを得ない。
 だが、それだけではないような気がしてならない。きっと、いまでも引き出しの奥には、二百冊しか売れないという「あとがき」を目にしたとき、熱くなった目頭の感触が、変わることなく残っているからかもしれない。

「文化としての競馬」であるからと言って、とりわけ難しい話をしようというのではない。日本競馬の繁栄とか、競馬文化の発展とか、そういうことを意図しているわけでもない。
 ただ、見ることのできない競馬の世界に、サーチライトを一本あてて、そこから興味深い物語を読みとりたいだけでしかない。
 言い方をかえれば、人間と自然との関係、あるいは人間と人間との関係を通じてではなく、人間と馬との関係を通じて、少し世界を語ってみたいのである。もちろんこの場合、「世界を語る」は、「人間を語る」と置き換えてもいい。

 あれから二十五年は経っている。インターネットという新しい伝達手段も開発されている。当時は二百冊だったかもしれないが、いまでは競馬の世界について、もう少し多くの人たちと語り合えるのではないかと思っている。


 「もきち倶楽部」は、二〇〇〇年の八月一日に発刊されます。


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