文壇のアンカツ「堀江敏幸」讃

 文学に限らず、おおよそ講演会というものには興味がない。嫌いな人物の講演など、最初から聴きに行くだけ無駄というものだし、演壇者が好意を抱いている人物の場合、逆に、出来栄えが悪ければ失望感もそれだけ増すに違いないと考えて尻込みしてしまうだろう。ましてや、堀江さんのように、こちらが勝手に思い入れている作家であれば、なおさら、途中で立ち往生しないかな、などと、気を回したりして、とてもその場に身を置く心持ちになれないからだ。
 だが、正月から、いくつかの偶然が重なって、今回ばかりは、覗いてみることにした。

 堀江さんとは、数年前、氏が連載を寄せられていた雑誌「書斎の競馬」の集まりで、編集長だった樋口さんや、その雑誌の装丁を担当していた間村俊一氏などとともに、お酒を飲んだのが、お付き合いのはじまりだった。
 下北沢のソマリヤ料理の店で、南アフリカから到来のワインとエスニック料理にお互い舌鼓を打つばかりで、たいした話はしなかったように思う。
 そばにいて空気のように気持ちがよい一方、ホリエという人間がそこに確実に存在している手触りがあって、正直、書いておられるものも好きだけれど、その人柄のよさ、品格にぞっこん惚れ込んでしまった。

 その堀江さんと、久々に再会したのは、正月明けのさる出版パーティでのことである。私学会館から、二次会会場となった飯田橋の「も〜吉」まで、いっしょに、ぶらぶら歩きながら、
「文壇のアンカツを目指すっていうのは、どうですか?」
 などと突然宣言するあたりが、やはり『いつか王子駅で』の作者の流儀なのである。
「なるほど、二人とも岐阜だし。ホリエさんも、アンカツみたいに騎乗馬目白押し、依頼殺到ですからね」
「でも、ほら、アンカツって、中央の騎手試験に挑むような無茶をしたりもする」
「怪傑ゾロみたいなところがありますよねえ。そうそう、去年騎乗馬が埒に激突し、アンカツが埒を飛び越えちゃって、大怪我をしたのをご存知ですか」
「そんなことがあったんですか」
「その原因を作った馬はぼくのPOG馬なんです」
「・・・・」
 といった按配で、またもや他愛のない話でえんえん時間が過ぎていき、締め切りをたくさん抱えた堀江さんは、それでも、ウーロン茶で遅くまでおつきあいしてくれたのだった。

 その出会いが、講演会のあった1月 17 日のちょうど一週間前のこと。が、しかし、まだまだ講演会に話は戻せない。
 巷にいま、ホリエ・ファンは激増中だが、ぼくの周囲にも少なからずいて、例えば、ボクがいま、アテネ・フランセで映画の授業を受けているイザベラ・フカール女史もそのひとりだ。
 ある日、課外授業で神保町の居酒屋で杯を傾けていたとき、彼女が、
「いま、私が一番読んでみたいのは、ホリエという人の『いつか王子駅で』だよ」
 と宣うたのには、椅子からずり落ちそうになったものである。
 聞けば、彼女、堀江さんが翻訳を手がけているジャック・レダの詩集の熱烈なファンで、日本人のご主人も堀江ファン。日本語に通じているイザベラさんは、堀江さん同様、レダの日本語試訳に挑戦中なのである。
 そんなわけで、17 日は、フカール女史を堀江さんに引き合わせるという少し不純な目論見もあって、会場の日仏会館に出向いたのだ。

 さて、ぼくが会場に到着したのは、講演開始の 15 分前。すでに、ホールの前では長蛇の列。この講演会は、「作家とその翻訳者」と銘打たれたシリーズのひとつで、これまでにも錚々たる翻訳者が登場しているが、顔見知りの編集者は、
「こんなに人が集まったのは、シリーズはじまって以来のこと」
 と太鼓判を押していた。さすがに文壇のアンカツの勢威恐るべし、というべきだろう。
 で、講演会である。ぼくの知る堀江さんの素顔は、含羞の人であって、(でも茶目っ気、悪戯心のある人であることは前述の通り)、正直、こんなにいっぱいの人を前にあがってしまうのでは心配したのだが、なんのことはない、まるで高座に上がった噺家。会場は爆笑のウズだった。
『ジャック・レダ詩集』の担当編集者にいわせると、彼の講演での話し方は、DJをやっているときの渋谷陽一を彷彿とさせるということだが・・・・・。なるほど「作家とその翻訳者」というタイトルに、
「『出家とその弟子』みたいですね」
 と軽いジャブをかました後も、得意の駄洒落が連発するのだが、圧巻は、堀江、レダ両氏の手紙でのやりとりのエピソードにつきるだろう。

「あなたがアジアで最初のボクの詩集の翻訳者だ」
 とおだてられたのも束の間、ある日、台湾での《 Citadain 》の中国語訳の本が送られてきて、
「残念、君はアジアで二番目になった」
 という返事にがっくりする堀江氏。
 が、ここから先が堀江氏の真骨頂。気をとりなおして、「シャンゼリゼ」をあしらったえぐい表紙の「巴黎市民」(!)のバーコードを見ると、その上に「品質保証」とあるのをみて欣喜雀躍する。「この手は使える」というおちまでつけて、なんと達者な話術であることだろう。会場で堀江さんの本を握り締めていた大多数の真面目な女性ファンにおしかりをうけないように付言しておくと、むろん堀江氏の話が、こうした駄洒落だけで構成されていたわけではない。堀江氏訳による『ジャック・レダ詩集』が、原作者とその翻訳者というつながり以上の魂の交感の記録であることを、そこはいかにも堀江さんらしく、含羞に包んで告白した、まことに気持ちのいい講演だった。

 そのほか、質問コーナーで、
「堀江先生は、なぜ、フランス文学を志されたのですか?」
 という定番の問いにも、
「ほとんどの人が、答えられないのでは」
 といなした後、それでも、最初は早稲田の国文志望だったが、成績の都合で仏文を選択した話や、学生時代、土曜の午前に日仏に通ったことがあり、おばさまたちに昼食をおごってももらうのが楽しみだったなどという裏話を披露。かくして、われらが文壇のアンカツ氏は、つめかけた聴衆の大満足裡のうちに、完走したのだった。

 その日は、日仏のガードが厳しそうだったので、堀江さんを拉致することを断念。夫婦で聴講にきていた前述のフカール女史とその夫君と、「も〜吉」へ繰り出した。
 ボディの効いたサケが好みのフカール女史のために石川の銘酒・手取川を指名して、この 1 週間を反芻しながら痛飲する。夫君が、吉田健一の『金沢』が好きだというので、意気投合し、その舞台になった「つば甚」という料亭の話になり、そこの女将さんの実弟と知己のぼくは、またまた嬉しくなって、埒外へ暴走してしまうことになる。当方も、文壇ならぬ、居酒屋のアンカツくらいにはなれそうな気味である。

                               (了)