ケンタッキー牧場巡り・その4 ダービー・ダン | |
次はリボー Ribot のお墓のあるダービー・ダン Darby Dan Farm である。 ダービー・ダンの歴史を語るには、2人の人物について語る必要がある。ブラドリー大佐 Colonel Edward R. Bradley とジョン・ガルブレイス John Galbreath である。 「笑わない男」ブラドリー大佐は、西部に行って様々な職業を点々とし、1880年代に「ギャンブラー」として成功して財産を作った。かれは生涯に情熱を傾けたものが3つあるという。最初は、彼の妻アグネス、2番目がギャンブル、そして最後3番目がサラブレッドである。 1788年に出来たというアッシュグローブ・ファーム Ash Grove Farm を1905年にリース(後に購入)し、1906年には名前を アイドル・アワー・(ストック)・ファーム Idle Hour (Stock) Farm と変え、本格的なサラブレッドの牧場としてスタートさせた。 その後周辺を買い増して、1,700エーカー(約689 ha )の規模になり、4頭のケンタキーダービー馬を初めとして、数々の名馬を送り出した。 そうした牧場の成功は、1912年に1,600ドルを出して購入した1頭の馬の存在が大きかった。Black Toney である。Black Toney は、競走成績はまずまずであったが、種牡馬として成功し、ブラドリー大佐のサラブレッド生産の象徴といっても良いだろう。山本一生氏がその訳を連載中のヘンリー女史の「ブラックゴールド」にも登場した。 1946年ブラドリー大佐が死亡すると、アイドル・アワーは売却分割された。 その11年後、ジョン・ガルブレイスが、アイドル・アワーの中核部分約620エーカーを購入し、ダービー・ダンと改名した。 ダービー・ダンというのは、ガルブレイス氏がオハイオに持っている4.300エーカーという牧場の名前で、オハイオの牧場に流れる小川の名前と、ジョンの息子ダンの組み合わせである。 ダービー・ダンになってからも、数々の名馬を送り出しているが、ガルブレイスの時代になって変わったのは、目が大きく世界に向けられたことである。生産・所有馬としては、2頭のケンタッキー・ダービー馬に加えて、英国ダービー馬 Roberto を送り出した。また、ブラドリー大佐同様に、優れた種牡馬を初期に導入して成功したのだが、それがイタリアから輸入した Ribot である。 さらにそれは社交面にも広がっていて、ガルブレイス氏は、英国王室との知己を得て、1984年にエリザベス女王を牧場にお迎えしている。 我々は本来、ダービー・ダンを午後に予定していたのだが、割と西寄りにあることもあり、レーンズ・エンドが効率的で、てきぱきと終わってしまったので、午前中の最後に寄ってみた。 だめと言われたら、午後に出直すつもりであったのだが、準備をしていないと言いながらも、少し待てば見せてくれるというので、5分ほど待っていたらOKが出て、種牡馬場に向かった。 ここは、種牡馬を見に来る人が少ないのかどうか、レーンズ・エンドと違ってまるでシステマチックではない。種牡馬場まで行くと、忙しそうに働いているひとに声を掛けたら主任で、「何が見たいのか」と、割りとぶっきらぼうな応対。ただ嫌がっているのではなく、素朴に自分の仕事をこなそうとしているのだということが分かるので、それほど嫌な感じはしない。 見たのは、Meadow Lake 、 Mahogany Hall 、 Honor Grades 、 Vicar 。記憶が曖昧だが Pyramid Peak も見たような気がする。 あまり馴染みのない方もいるだろうから、少し血統の補足を入れながら進めよう。 Meadow Lake は、 Princequillo の系 Hold Your Peace の産駒で、母系は Hail to Reason の母 Nothirdchance から繋がっている。 Northern Dancer の入っていない貴重な血統だが、BCジュヴェナイル・フィリーズなどを勝った Meadow Star (1988生れ)を早い時期に出して、その後も超大物はでないものの、コンスタントな成績を残している。栗毛の印象的な馬で、割とがっちりした体型であった。 Mahogany Hall は、 Woodman 産駒で、母の父は Majestic Light 。体に班があったのが印象的だった。 Honor Grades は、Danzig の子で、毛色もそうだし、体型もそれほど大きくなく、 Danzig の印象を残している。レーンズ・エンドで 、Secretariat が強く出ていると話題にした Weekend Surprise の子供でもあり、そういえば確かに首が太いかなと思うが、あまり AP Indy 、 Summer Squall のようながっちりした印象はない。 Vicar は、 Wild Again の子で、確かに毛色は Wild Again だ。そうなるともう簡単に似ていると思ってしまうというのが、私の相馬眼だから、まあ、あまり信用はしないほうが良いだろう。 Pyramid Peak は、厩舎に入っていたところを見たのかもしれない。 Mt Livermore の子がいたなあ、というかすかな記憶があるだけである。 種牡馬場と事務所のある建物との間に、広々とした一角があって、ここがお墓になっている。 その中に立っている古い銅像が Black Toney で、その後ろにある、ひときわ大きな墓石が Ribot である。この2頭はやはりこの牧場にとっては特別なのだろう。 その他ここに眠っている馬は、Flower Bowl とその子供たちである Graustark および His Majesty 、それとやはり Roberto のお墓もあった。 |