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「もきち倶楽部」ドラフトから、すでに2か月あまりが過ぎてしまった。 筆者は今回、自己都合でこの大切なイベントを欠場。ひとまず伊与田事務局長、山本編集長に「1年間の放牧休養」をお願いした。 後にうかがうと、今年のドラフトは、たくさんの議論、それに発して若干の変革があったようである。いまさらこのような駄文、正直きわめて書きづらいし、書く資格がないとも思うのだが、先だってのタイトルに「前」などとつけてしまったから、もう一度だけ続けさせていただく。 トンチンカンだったらすみません。 昨シーズン、筆者の成績はどうやら最下位ではなくブービーだったらしい。まあしかし、40何名中のブービー、マイナス〇〇万円弱だから、立派な負けっぷりである。 ただそれについては、べつだん不満ということもない。筆者は幼いころから自分の勝負弱さをさまざま体感してきたし、危険に対する予知力にもきわめて乏しい。 だいたい去年のドラフトも、その会議終了時点では非常に満足していたのである。「ああいい馬がとれたな。思惑通りだ・・・」などと。 ドラフトの帰路、夜明けに乗ったタクシーで、なにごとかをなしとげたように煙草をふかしたとは、前に書いた。思えば筆者にとって、「もきち倶楽部」はやはり、自己満足のためにだけ存在していたのである。 「ペーパーオーナー」の経験、いや負けの歴史といってもいいのだが、それについては筆者は十分胸が張れる。 かつてわが「日刊競馬」でも、かなり密度の濃い ( レートが高い ) ギャンブルとして、ソラ恐ろしいくらいの大胆さで、毎年堂々と行われていた。今思うと、ある種、時代が違ったということかもしれない。 もう時効と判断して書かせていただく。リキアイオーを持っていた後輩が、新車を買った。サンエイソロンを持っていた同僚が、持ち家ローンの頭金を作った。シンボリルドルフを持っていた先輩は、連夜の祝勝会で健康を害して入院した・・・。 当時、「負け組」の支払いは一か月即金だった。筆者はそういう不運の年、2度にわたり銀行の「定期預金」を解約した。死活問題というほどの額でもないが、結婚当初だった家人などには、やはり常識外れにみえただろう。こういう人がパートナーでは先の展望というものが開けない。 ただ本人は、それはそれで、たいしたダメージも感じなかった。なぜなら「ときどきは勝つ・・・」ということ。例えばレイクビクトリア、スーパーショット、そんなマイナーな ( 一般的には ) 馬で重賞を勝ったりした。 トータルでは負けていても、人生では負けていない。寺山修司でもあるまいが、自己満足できる材料と要素はあった。 その「日刊競馬POG」が終焉したのは、今からもう15年ほども前だろうか。 「非合法のギャンブルは、これを中止すべし」というお達しが会社上部からあった。 むろん、もっともといえばもっともである。どこからか告発されれば、それこそ申し開きが立たない。いつからか社外の人間もおびただしく入り込んでいて、金銭的やらなにやら、さまざまエスカレートしすぎていたという面もあった。 即刻、次の年から廃止された。 ただ当時の筆者には、このPOGが、自分の中でひとつ生きがいというような存在にもなっていた。 ヤメてやろうかと思った。POGではない。会社を、である。その最終年、筆者はマティリアルを持っていた。 その何年か後、筆者は同僚・飯田正美の知己を通じ、「もきち倶楽部」にお世話になった。 実際、それからずいぶんのあいだ楽しませていただいた。最終的にマイナスになる、損をする、それはいわば自分の役割り、さらにいえば‘業’のようなものだから、たいした苦痛ではなかった。 父ステートジャガー、メルシーアトラなどという馬が重賞を勝ったりして、何度か深いため息もつかせてもらった。 ただ最近になって、幸か不幸か ( たぶん不幸 ) 、ひとつ気付いてしまったことがある。自分のPOGに対する姿勢、やり方では、永遠に勝てない、いや勝てなくともいいのだが、自己満足すらできなくなったこと。 「もきち倶楽部」のせいではもちろんない。日本の競馬が、サンデーサイレンス他を擁する社台グループ、それが絶対に近くなった。POGの世界でも、その産駒をどう選択するか、どうとるかだけが勝負になった。 ・・・などと書きつつ、実は複雑な思いもある。 今年の春4冠、サンデー産駒は現実に一つだけしかとっていない。アグネスタキオン。だからこれは「負けの正当化」であり、「手の届かない葡萄はすっぱい」というだけの話でもあるだろう。 テイエムオーシャンをとれば文句なかった。ジャングルポケットを指名すれば鼻が高かった。ただしかし、大半の会員、ドラフト時点での心理が、もう「サンデーをどう取るか」にかたむいてしまってきたのである。 POGは、本来‘確率’より‘ロマン’とか‘偶然’とかに、想いを馳せるべきと個人的には考えてきた。難しい。結局、ひとつ自分の中で風呂敷を広げてしまうと、それにとらわれる、身動きができなくなってしまう、そういう話なのかもしれない。 POGの正しいあり方。いや正しいかどうかはともかく、ひとまず最低公約数、そういう道筋はあるとも思う。 鉄則はやはり「自由競争」であること。「もきち倶楽部」の会員の方が書かれていた「勝つことが楽しい」、「優勝が最大目標」ということ。 たとえ遊びでも、それはやはりごく自然な欲求と流れであるだろう。だから個人的には「種馬縛り」には賛成しない。自分の取りたい馬、いいと思った馬は、原則的にすべて取れる、そういうルール、システムの方が理屈にかなう。 ただそこで自由競争。たとえば「指名1位」が、サンデーサイレンス×アグネスフローラに殺到して、それをすべて認めれば、当該馬は「12人共有」ということになる。 それで満足できるかどうかは別問題。会員それぞれの価値観に委ねるしかない。が、少なくともゲームの正当性を守ろうとすれば、そちらがよりベターと思ったりする。 「1位指名って、お家の表札みたいなものじゃない・・・」 確か昨年のドラフトだった。大宮早苗さん ( たぶんそう、違っていたらすみません ) 、の名言を思い出す。 地方競馬フリーク ( 職業上でもあるけれど ) の筆者は、当時少し迷ったあげく、マジックで「カネツフルーブ」と書き込んだ瞬間で、なんともいえない共感と安堵を覚えてしまった。 思えば、サンデーサイレンスがどうとかいう話ではないのかもしれない。うまくいえない。 自分の‘郷愁’とか、‘原点’とかいうようなものに想いを託す。結局それが自分のPOGだから、最終的に「楽しい負け」がほしいというわけだろう。 ご退屈さま。酷暑の晩夏、ご自愛ください。 |