第21話 イシノヒカルでデビューした男

 昭和 47 年8月、今はなき、『調査情報』という一風変った名称の月刊誌に、サラブレッドをテーマにしたノンフィクションが掲載された。題して 「イシノヒカル、おまえは走った!」。書き手は今をときめくノンフィクション作家の沢木耕太郎氏である。

 昭和 33 年生まれの私は、むろん、同時代的にその作品を読んだわけではない。
 上に述べたことは、それが収録されている文春文庫『敗れざる者たち』の「あとがき」から教えられた後知識に過ぎない。
 が、東京放送のユニークな専門誌に、沢木氏自身をして、
〈「イシノヒカル、おまえは走った!」を書き終えた時、自分に可能な道筋が見えてきたのだった。〉
 とあとがきに記させた作品が掲載されたというのは、私などにはとても興趣がそそられる思いがする。後にわれわれの世代が手に取るような時代にあってさえ、それほど『調査情報』はなお光彩を放っていた。

 先ほど、沢木氏がイシノヒカルをテーマとしたノンフィクションを同時代的に読んだわけではない、と断りをいれたが、少年の頃から、競馬にはまり込んでいた私にとって、イシノヒカルとそのライヴァルたちは、過去のサラブレッドの世界で自分の身近に感じられるぎりぎりの世代なのであった。

 従って、この沢木作品に描かれているイシノヒカルを取り巻く世界は、少年の眼に映っていた追憶の中の世界とかなり様相を異にする。
 当時、TV画像や活字の上で熱心に追いかけていた世界が、実際はどうだったのか、大人たちはどう考え、どう行動していたのか、それを知らされるというか、まことに眼から鱗の落ちるような思いで読了したのだった。

 さて、宣伝にもならぬ前口上はこのくらいにして、作品を紹介しよう。
 このイシノヒカルの年、すなわち関西馬のロングエースがダービー馬の座に就いた年は、ストで日程が大幅に遅れ、ダービーが7月9日に施行されている。

〈七月二日 日曜日 晴 
 《ほら行くよ!》
 大森君に叩き起こされた。午前三時。まだ早い、ともう一度布団をかぶった時、やっと思い出した。そうだ、今日から馬丁さんと一緒に厩舎で暮らすのだった。〉

 冒頭にそう記されているように、この作品は、7月1日から、ダービーの行なわれた9日まで、実際に、イシノヒカルの飼養されている府中競馬場の浅野厩舎に住み込んだ沢木(当時 25 歳)による、異色のルポルタージュなのである。

 調教、進上金と呼ばれる賞金の分配、血統、種付け。沢木氏のことだ。相当な下準備をして臨んだのだろうが、内容はあくまで素人の素朴な疑問をおろそかにしない姿勢で徹底されている。
 私には素人的な視点による観察や考察を貫いている点が、文章にリズムと清新さを与えているような気がしてならない。

 かといって、こんな個所には、相当な悪ずれした玄人も、にやりとさせられるのではないだろうか。

〈七月三日 月曜日 晴 イシノヒカルの隣りの馬房にいるカヤヌマタイム(牡・五歳)は、盛んに反対側のヒカリストラーと鼻面をつき合わせている。牡同士なのだが、馬っ気が出てきているので、人(馬?)恋しいのかもしれない。昨日の日経賞でカヤヌマタイムがドン尻だったのは、ヒカリストラーとの同性愛(?)のせいだということになって、馬房の扉を閉められてしまった。〉

 有力馬の一翼をなすイシノヒカル陣営には、日増しに記者の取材攻勢が激しくなる。が、その誰しもが、厩舎に沢木の客観的な眼が光っているとはよもや思うまい。従ってこんな醜態を曝すことになる。

〈《どこへ行ってもアアいうのさ、あいつらは──》
  ……厩舎の人達も報道陣にあおられた形でダービーを意識しはじめていた。
 そういえば、昨日も、外車に乗ってピンクのパンタロンをはいた赤木駿介が取材に来ていた。ちょうど浅野さんは仕事中だったので、区切りがつくまで赤木を待たせた。赤木はいらいらしているようだった。浅野さんがきてやっとインタビューを開始したと思ったら、もう終わっていた。帰りしなにちょっと馬房に寄って、取材完了。待たされた時間=三十分、取材時間=二十分、馬を見た時間=五分。競馬評論家の取材など、この程度のものであったのか。ユメユメ予想など信じるまい、と思ったことである。しかも、これが新聞一頁の対談記事となったのには、驚きを通りこしてゲンナリした。〉

 浅野調教師といえば、名馬トサミドリの騎乗があまりに有名。かつダービーでの惨敗の責務を自身の騎乗ミスに帰せられることが多い。が、沢木はこんな秘話を記している。

〈だが、浅野にもいい分があった。トサミドリは 「追い日」に午前と午後の二回も追われている。いくらトサミドリでも疲労が残らぬはずはない。しかも調教師が二度も追った理由というのは……。
《朝帰りして朝の “攻め馬” にこなかった。カミさんと喧嘩してムシャクシャしているときトサミドリを見て、追い方が軽すぎると午後に追い直したんだよ。後で聞いた話だが……》
  秋。トサミドリは浅野のムチによって菊花賞に快勝する。〉。

 さらに意外な話は続く。
〈《その方、アイヌの人だったらしいのね。だから、絶対アイヌの人を許さないんです》 と妻・日出子さんがいう。しかも山沢君や小島君もアイヌの血が流れている。しかも可愛がっている。《そう、でも許さないために身近に置くということもあるでしょ?》〉

 作品は、イシノヒカルが6着で闘い終えて、馬房に戻った夜のシーンで幕を閉じる。

〈夜、十一時頃、酔払ったひとりの馬丁が、イシノヒカルの馬房に入った。しばらくして、外へは酔払いの呟きが洩れてきた。
《いいさ、おまえはたしかに走ったんだから……》〉

 この傑作ノンフィクションから四半世紀。それ以降、沢木が競馬について書いた本格的な読み物を寡聞にしてしらない。あの斬り込み鋭く、それでいてほんわりとさせられる競馬ノンフィクションが再登場するのを望んでいるのは私だけではあるまい。いつかまた、厩舎の片隅に赤木駿介氏を射抜いた目が光る日を楽しみに待ちたい。


初出:『競馬通信大全』28号  1999 年8月