ノートの6・競馬百話(26)

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(51)続 内国産サラブレッドの能力
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 常識的に考えれば、当然わが国のサラブレッドは、まだ国際的な水準に達していないということで、これに対し、反対の意見を出す人は、おそらく一人もいないであろう。
 しかし、今までのところでは、わが国のサラブレッドを改良すると称して、毎年々々輸入されたサラブレッドの種馬(牝馬も牡馬も含む)によって、いったいわが国のサラブレッドが、外国産馬との比較において、どの程度改良されたかということは、いっこうにはっきりしないのである。

 競走馬としては、前回に述べたようなことで、国際レースに参加した馬が、すくなすぎるので、それらの成績だけで、全体をおしはかるわけにはいかない。

 では、種牡馬としての能力において、いちばん手っとり早い外国産種牡馬との比較はどうかというと、これまた比較できない状態にあるといってよい。
 外国にやたらに馬を遠征させることもできはいのだから、種牡馬としての能力を比較することが、わが国のサラブレッドがどんなに改良されていったかを見つけるのに、いちばん早道であるのだが、それが行なわれていない。

 生産者が、外国から馬を入れるときに、金もうけのためだとは誰もいわない、良い馬をつくるためだと、たいていの人はいうであろう。つまり、別の言葉でいえば、馬を改良するためだということであろう。だが、どんなに改良されたかということを、確かめることには、あまり熱心ではないようだ。

 だからといって、生産者ばかりをせめるわけにはいかない。
 馬を買う人たちが、わが国特有の舶来上等という考えにとらわれているから、せっかくわが国の競馬で能力をテストされた優秀な馬も、競走馬の再生産用の種牡馬としては、あまり好まれないのである。売るために馬を生産している生産者は、売れる馬を生産せざるをえないのである。したがって、内国産馬は軽視されることになる。

 この傾向は、観点をかえるならば、わが国の競馬が、競馬本来の機能をはたしていないということに外ならない。
 競馬本来の機能とはなにかというと、それは競馬番組によって、軽種の生産を方向づけるということである。今までの競馬は、ただ単に賞金を増額することによって、競馬熟をあおり、競馬公害をひきおこし、生産熱を刺激して、過剰生産をひきおこした。軽種の生産を、そのあるべき姿に導くという方針が、競馬番組にもられていなかった。
 だが最近はようやくこのことに気がつき父内国産や母内国産の奨励金制度等を設けるようになったことは、誠に適切な処置で、喜ばしいことである。

                       (昭和48年12月1日)


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(52)続々 内国産サラブレッドの能方
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 この標題では、続でおしまいにしようと思ったところ、12月2日(昭和48年)の中山競馬のクモハタ記念で、ブルスイショーが、見事に1着となったので、もう一回、続々として書いてみたくなった。

 クモハタ記念は、出走馬10頭で、勝ったブルスイショーは父が内国産馬のシンザンだが、その他は全部父は外国産馬である。

 このレースはハンデであるから、どの馬が勝ってもおかしくないといってしまえば、それまでだが、プルスイショーは、54キロで、これ以下の重量の馬が、6頭いるのだから、負担重量が軽いから勝ったというわけではないのである。

 さらに11月25日の東京競馬の最終日のサラブレッド系三歳新馬競走は、出走馬16頭で、勝ったサンテサーナ(父ハードウイン)以外は、全部父は外国産である。

 これらの例を見ても、内国産のサラブレッドの一流のものは種牡馬として、けっして外国産の一流の種牡馬にまけないだけの素質を持っていることが、よく分るはずだ。

 ことに内国魔の種牡馬に対しては、たとえシンザンといえども、やはり配合される牝馬は、一流の繁殖牝馬はきわめてすくないであろう。このことを合わせ考えるなら、ますます内国産種牡馬にも相当なものがいると考えざるをえないであろう。

 だが、はんとうに内国産サラブレッドの種牡馬としての能力をテストするには、毎年4、50頭の一流の牝馬に配合し、しかもこれをすくなくとも10年は続ける必要があると思う。

 このためには、こういったことをしやすいような情勢をつくり出すことがなんといっても必要だ。
 まず第一には、競馬番組である。国の馬産方針が明確でなくなった現在では、サラブレッドの生産の指針となるものは、競馬番組以外にはない。ところが、今までは競馬番組を作っている人たちに、自分たちの作る競馬番組によって、軽種の生産が方向づけられているんだという意識がおそらくなかったであろう。

 だが、このことは無理もないと思う。わたし自身も、ちょうど競走馬の資源不足のとき、競馬会で番組を作っており、もっぱら力をそそいだのは、出馬をよくすることだった記憶があるからだ。出馬の悪いことが、なによりも番組作製者にむけられる非難となるからである。

 最近ようやく生産との関連において競馬番組が考えられるようになったことは、誠にうれしいことで、番組作成上の一大革命といってもよいであろう。関係者の苦心に対しては満腔の敬意を表したい。

                      (昭和48年12月4日)