第1章 快速馬スダホークの最後の戦い(2)

(二)淀の天皇賞にセンチメンタルソングは似合わない

 オレの春の天皇賞の挑戦は、これで三度目になる。五歳のときは一番人気で七着、六歳のときは三番人気で三着、今年こそはと思っているが、下馬評はさっぱりで、まったく人気はなさそうだ。

 六歳の春は、何と言っても運が悪かった。ミホシンザンが出てきたからだ。オレはどうしてもあの馬には勝てない。菊花賞のときに一馬身四分の一まで迫ったのが、これまでで最も少ない着差だった。同世代だったので、九回もいっしょに走り、恥ずかしいことに一度も先着していない。

 五歳の春は、ローテーションが悪かった。
 本番は、京都の坂越えの三千二百メートルだというのに、その前に平坦な阪神の二千メートルを走り、サクラのユタカオーと瞬発力比べをしてしまった。オレみたいに不器用なタイプは、一ヶ月もしないうちに、今度は三千二百メートルのスタミナ勝負をしろといわれても、どだい無理だったのだ。

 五歳の春の教訓を活かして、去年も今年も、三千メートルの阪神大賞典をステップとして選んだ。とくに今年など、その阪神大賞典でさえ途中でスローペースの瞬発力勝負になるのが分かったので、まずいと思って流して走ったのだ。ファンには悪いと思ったけど、同じ轍は踏みたくなかったからだ。

 たしかにオレも、競走馬としては初老といっても好い年頃だし、最近の成績はさえないので、人気がないのも当然かもしれない。それでも今度の天皇賞は、少しはチャンスがあるのではないかと、じつはひそかに期待しているのだ。

 そもそも今年の天皇賞には、これといって強い馬がいないじゃないか。
 一つ下の六歳馬。この世代の最強馬といえば、ダービーと有馬記念を勝ったダイナガリバーだが、彼はすでに引退してしまっている。
 もうひとつ下の五歳馬。こちらも、皐月賞と菊花賞を勝ったサクラスターオーは、すでにこの世にもいない。
 それぞれの世代の最強馬が不在なのだから、だれが勝っても不思議ではないし、みんなそれを知っている。だからこそ、続々と上洛してくるのだ。マウントニゾン、レイクブラック、ランニングフリー、ミホノカザンまで上洛するっていうじゃないか。チャンスがなければ、わざわざ遠征することはないだろうさ。
 だけど、舞台は淀の坂越えの三千二百メートル、こんなときに問われるのはステイヤーとしての血統的な背景でね、ならばオレにだって希望はある。

 一番人気はタマモクロスかな。
 五連勝で、重賞は三連勝とくれば、圧倒的な人気になってもおかしくない。もちろんオレも、この馬はマークしている。でも本当にマークしているのは、タマモクロス本人ではない。あいつではなくて、あいつの父馬のシービークロスなんだ。

 じつはね、芦毛倶楽部という組織があるんだ。競馬場に出入りしている芦毛の馬たちが、親睦を目的として作った組織で、かなり昔からあるんだ。
 去年の暮れに、その芦毛倶楽部の忘年会が行われたんだが、そのときこんな話を耳にはさんだ。有馬記念の誘導馬をつとめた馬、何といったかな、名前は忘れてしまったけど、その馬が突然、訊いてきたんだ。

「有馬記念、出ましたよね」
 当たり前のことを訊くと思って、少し癪に触ったんだけど、でもまあ答えたよ。
「ああ、出たよ。十四頭完走して、十三着だ」
 正確にいうと、十六頭が出走し、メリーナイスが落馬、サクラスターオーが競走を中止した。
 すると、そんなことには気にもかけずに、こういうのだ。
「この倶楽部から、他に出ていました?」
「いや、芦毛倶楽部からはオレだけだよ」
「そうですよねえ。おかしいなあ」
「何が?」
「ウウーン。もう一頭見かけたんですよね、芦毛の馬を」
「有馬記念にか?」
「ええ」
「他の誘導馬か、前のレースの間違いではないのか?」
 誘導馬は芦毛が多いからである。でも、答えはノーだった。
「そう思って、いろいろと訊いてみたのですけどね」
「有馬記念は十七頭立てだったというのか?」
「十六頭立てだったのですが、別にもう一頭がコースを走っていたことも間違いないみたいです」

 この話を聞いたとき、オレはピンときたね。それは、シービークロスだってね。シービークロスが走っているんだってね。
 自慢ではないけどオレは、シービークロスについては詳しいんだ。もちろん芦毛倶楽部の大先輩だし、何といっても「白い稲妻」といわれた追い込みの凄さは、今でも伝説となって語り伝えられているからだ。

 聞くところによればシービークロスは、サクラショウリに対して並々ならぬ対抗意識を抱いていて、負けたくない、負けたくない、と芦毛倶楽部の会合などでもいっていたらしい。たんにサクラショウリが、その世代のナンバーワンだったからではないみたいで、どうしてだろうと、だれもが不思議がっていたという。

 ホクトヘリオスの説によれば、それは血統的な問題だそうだ。
 サクラショウリの父はパーソロン、母はフォルティノの娘、シービークロスのほうは、父がフォルティノで母はパーソロンの娘、まったく逆の組み合わせだったので、対抗意識が強かったというのだけど、本当かね。
 ヘリオスは単細胞で、レースにいっても直線一気しかできないぐらいなのに、どうしてそんなことが分かるのかね。眉に唾をしてから聞いたほうがいいかもしれない。

 ロンスパークによれば、サクラショウリの母シリネラはイギリス生まれ、シービークロスの母ズイショウは輸入されて三代目で、対抗意識は母馬にあったというが、これだって怪しいものだ。

 はっきりいえることは、シービークロスはサクラショウリに激しい対抗意識を燃やしていたが、まったく歯が立たなかったということさ。八回もいっしょに走っているのに、一度も先着したことがないのだからな。一番善戦だったのが五歳の春の天皇賞で、着差は一馬身、もっともサクラショウリには長すぎた距離でこれだからね。まるで、オレとミホシンザンの関係みたいなものさ。自慢じゃないけどな。

 だから、きっと誘導馬のいうとおり、あのときの有馬記念にはシービークロスも走っていたんだろうよ。だれにも見えないように身体を透き通らせてね。
 じつは芦毛の世界では古くから、両親とも芦毛の馬を「純生芦毛」と呼んでいて、片親だけ芦毛の馬と区別しているのだ。この純生芦毛には、身体を透き通らせる能力が備わっていて、だれにも見ることは出きないそうだ。ただ、同じ純生芦毛ならば、感じることだけはできるらしいけど。

 オレとか、ホクトヘリオスとか、ロンスパークとかは、片方の親だけが芦毛だけど、シービークロスは両親とも芦毛だし、おそらくあの誘導馬もそうだったんじゃないかな。だから感じたのだろうね。シービークロスのことを。

 でもシービークロスは、息子が出走したわけでもない有馬記念に、なぜ出ていたのかな。まあサクラショウリの息子、スターオーに関係しているのは間違いないだろうけど。
 種牡馬になったとはいえ、対抗意識がそう簡単に鎮まるとは考えられないからね。ライヴァルの息子が、皐月賞と菊花賞に勝ち、このうえ有馬記念にでも勝ってしまったなら、もうその差は縮められないと思うのが普通だよ。
 だから何とかそれだけは阻止しようとしたのかもしれない。あるいは今度の春の天皇賞に備えて、息子タマモクロスの最大のライヴァルになると思われるスターオーの脚を、自分の目で見ようと思ったのかもしれない。
 よく分からないけど、まあサラブレッドの感情は、人間以上に人間的であることを忘れてはいけないよ。

 今度の天皇賞でも「白い稲妻」シービークロスは、息子をアシストしようと思って、淀のコースに姿を現すだろう。だけど、オレは大丈夫だな。芦毛倶楽部の代表だから。
 なに、だれもマークはしないって? そうかもしれない。全然人気がないからね。

 でも、だからいうわけではないけど、タマモクロスにも不安はあるよ。あの末脚、あれは一マイル半までならともかく、二マイルでも同じように使えるのだろうか。
 オレは疑問だと思うな。斬れすぎて、少なくともステイヤーの脚ではない。だからオレが、タマモクロスに勝とうと思えば、直線の瞬発力勝負ではなく、父馬の距離の適性、シービークロスとシーホークの血統を問うレースをしなければいけないんだ。
 でもシービークロスに距離不安があるわけでもないので、難しいかもしれない。弱気になってる? そういうわけでもないけど、なんたって人気がないからね。

                            (二)
続く